厄介な時代

厄介な病気が流行る厄介な時代である

なぜか?
いくつか要因があるように思う

たとえば
ローマ貴族型滅亡(貧乏な庶民は滅亡しなかった)
ワインを保存するときに貴族は鉛の樽を使い、そこから
鉛が溶け出し、鉛中毒になり、不妊になり、そのまま滅亡した
現代では10-20年前に環境ホルモン汚染説がよく言われていた
プラスチック等から溶け出す物質とか
海に流される排水とか
農薬汚染とか
そのせいで男性の精子製造能力に変調が出ているという話
そんなこともあり少子高齢化となり
若者は働いても老人に年金を吸い取られるばかりで
おまけにテレビに出ているあのような年寄りが年収7000万円だとか平気で言うので
若者はますますやる気なくなり
子供を育てる気もなし
子供のいない風景は正直、陰鬱である

またたとえば
どうして子供を産まなくなったのだろう
子供を育てる以上の楽しみがあるというのだろうか
Gameとか?
若い男性が性行為にあまり価値を置いていないということはあるいはそうなのかもしれない
生殖を伴わない性文化が花ざかりである
しかし一方では性病は減ってはいないのはなぜだろう
いろいろと進んだ技術があるのだが
それを子供の抹殺に使っているのだろう
昔は姥捨山だったけれども
最近はもちろんそんなことがあるはずはなくて
都会の真ん中で孤独死をしている
子供よりも自分が可愛い、孫よりも自分が可愛い
という価値判断のようである

しかし
遺伝子がここ数十年で急激に変化したわけでもないだろう
いまアフリカの人たちを日本に連れてきて
日本文化の中で育てたら、多分現代日本人と同じような振る舞いをするのではないかと思う
だからそれは外側の変化なのだろう

たとえば著しいのは気候の変化である
とんでもなく暑いし、降れば土砂降りだ
黄砂が降っているのでそのあたりの人は大変だろう

遺伝子が変化したのでなければ
環境の変化だろう
なぜ遺伝子はみすみす自爆するような方向に突き進んでいるのか
老人が死なないで資源も権力も手放さないからから仕方がないというとんでもない答えはなしとして
たとえば脳の原則と遺伝子の原則ということを考えてみると
遺伝子の原則で言えば
何が何でも子孫を残し
子孫に奉仕し、一族の繁栄のために自己犠牲を厭わないものなのだけれども
脳の原則で言えば
できるだけ長生きして楽をして生きていたい
子孫より自分
ということになる
子供によくないと分かっていても女性はタバコを吸いアルコールを飲む
高齢出産はいろいろな意味で一番の危険因子だけれども
たいていは高齢出産になっている
あれもこれも手に入れたい女性たちである

話がずれたが
我々の時代に何が起こっているのだろう
情報化社会の心理風景ということは考える

たとえば、私のことを誰かが陰で笑っている
という話は、昔は被害妄想だったけれども
最近は携帯サイトでいくらでもありうる話だろう
誰かが私のことを監視している、常に盗聴されているというのも
一概に否定出来ない環境である
誰があなたのことなんか監視するのよ、と母親が言ったとしても、
世の中はそれ以上に進んでいるのかもしれない

そんなふうになると他人との心理的距離が随分と変化してしまう
昔ならば病気でない限りは安定した「他人との距離」があったはずだけれども
現在ではなにか怪しい
どこかに自分の知らない自分の情報が蓄積されているかも知れないのである
どちらが本当の自分なのだろう

また
発達障害のことがいろいろと話題になるが
その背景も様々にある
障害というものは障害を持っている人とそれを認定する人とが揃わないと
増えたという話題にはならない
発達障害について客観的に認定する方法は今のところない
高度情報化社会では発達障害だが
農村地域に連れて行って単純農作業をするなら
力持ちの気立ての良い人となるのかもしれない
そんな人を発達障害と認定してくれるありがたい人が結構増えつつあるのだろう
ここでもやはり人間の遺伝子はそんなに激しく変化するとは思わないからだ
子供に薬剤を飲ませて自殺が増えるとか言っているが
子供にそんなものを飲ませるような診断をしているということなのだから
それはよく考えたほうがいいだろう

既得権益者が既得権益を維持するためのグローバル化や「進歩」が
いろいろと押し付けられて
一般庶民は平和な暮らしができない
どこかの膨大な人口を擁する賃金の安い国が日本の若者の単純労働を奪う
100円均一ショップで買い物をするということは
回りまわって何をしているのか考えないといけない
輸入食品を加工してなにがなんだかわからない状態で食べているとして
その直接の結果が精子の運動不全なのか
あるいは間接的な影響として社会経済構造の変化があるものなのか
どちらも相応の影響を及ぼしているのだろう
もちろん解決は、インドやバングラディシュに行って低賃金労働をすることなのだけれども
日本人は英語が苦手だから日本から出て行きたがらない
すると国が面倒をみることになり
ますますみんなで貧乏に怯えるので
どんどん赤字国債を増発し、あとは何も考えたくないらしい

どこまでやったら
報われるのだろうと人間は考える
マニーの人たちのようにはしゃぎまわっている人は昔からいたと思うが
昔ならいまほど頻繁に目にすることはなかっただろうと思う
しかし現代では情報に乗って現れるのは大抵がはしゃぎ過ぎの人間なのである
持続的にそのような情報にさらされると
思わず自分もはしゃぎたくなり、しかし実際ははしゃぐのではなく、もっと努力するのだ
その人達は、他人がはしゃぐところを、努力するのだ
結果として報われなくてますます努力する
報われるまで努力する
もちろんゼロサム社会であるから全員が報われるはずはないので
徒労の感覚はさらに拡大する
昔はそんな状況を慰めるものが子供であり孫だったろうと思うが
最近はそんな子供は視界から消えて
情報画面で奇妙な人間が意味不明のはしゃぎ方を続けているのである

その人に情報画面以外のリアルな世界はどれだけあるのかといえば
それも怪しい
文化はますます細分化され
リアルな隣人とは話が通じない事のほうが多い

というわけで厄介な時代である

たとえば何かを発明した
それが人々にどの程度必要であるかは疑問である
という場合
あなたは宣伝部長に抜擢されて
宣伝戦略を練る

大衆心理の操作は必然的法則ではないが確率的必然である
企業が売りたいと思うものがあれば人々はそれが欲しいと思うようになるのである
それが宣伝というものだ
コカコーラである

一昔前にはそんなものはなくても充分に幸せだったのに
そう、ブータンの人たちのように幸せだったのに
もう元には戻れないのである

答えは Listen to Prozac である

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しかしやはりどんな製品も我々の社会が産み出したものであり
社会は我々の心が産み出したものであり
その我々の心を製品であるお菓子も薬も情報技術も
コマーシャルに乗ってドライブし続けているのである
2012-04-04 02:07