一回性と反復性

一回性と反復性について考慮することは
科学的思考を考える上で大切である。

一般に科学は
実験して測定して、その上で仮説を立て、
それに従い数値や現象を予測し、
さらに実験して測定して、その確かさを確認する。

仮説は天動説と地動説のように入れ替え可能なのもので確定的なものではない。
ただ、前提が与えられれば、正確な予測ができるというだけのものである。

宇宙物理学でも有機化学でも、上記の科学的手続きの有用性は確認されてきた。
これ以外の科学は考え用がない。
仮説としてからり魔術的な道具立てを採用しても、
予測結果が正しいならば採用していいと考える。

仮説の入れ替えが可能かどうかはあとで考えればいいことであって
とりあえず現実に予測効果があればいいではないか

その仮説に従って、肺炎が治り、糖尿病が治り、がんが治ればとりあえずはいいと思う。

アインシュタインの理論によって予測されていた測定結果に反する
測定結果が確認されたとかの話題が2011年の年末に報道された。
これは明確な前提条件を与えれば、明確な結果が予測されるという好例である。
したがって反証も出来る。

一方で、フロイトの理論に反する測定結果が出たので
フロイトの理論の書き換えが必要になったというような報道に接することはない。
フロイト以外の理論はフロイトの理論ほどに利発ではないから報道の価値がないのだが
フロイトの理論でさえも
ポパーによる反証可能性の基準に照らして科学ではないのである

そのあたりは微妙なところがある

たとえば肺炎の治療に関して言えば
前提条件を完全に与えることはできない
現状では何が本質的な前提条件であるかが未だに明確ではないからである

たとえば極端な話、無神論者だから抗生剤も効かず、肺炎で死んだ
と因果関係を考えたとして、無神論者という前提がどの程度の意味を含むものか、
必ずしも明確ではない

人体を扱う医学にはすでに前提条件の曖昧さが発生してしまう。
マイコプラズマだからと限定したとしても、人体の側の免疫状態を正確に記述する方法が
今のところ、ない

さらに人間の精神を扱う局面になると、いくつもの情報が前提として与えられたとしても、
その中のどれが、未来の予測に本質的に役立つ要素であるのか、
不明確である。

たとえば母子関係の問題があるということが、生育を調査した結果の、現在の疾病の前提条件として
挙げられたとして、
そういうものではあまり厳密なことは語れないのは正直、真実だろう

もともと科学の方法にまったく興味がない人もいるし、
理解はしていても反発している人もいるし(その理由についてはまさに心理学的な謎であるが)、
そもそも治療にあたり知的な理解以外のことが目標であれば
科学の発想など無用なものになるのだろう

物理学、化学、生物学、医学、精神医学と並べてみたとして
反復性と一回性の程度で並んでいると思う
そしてこの順に、科学の方法になじむ

物理学の内部で、反復性がなく、一回性であるものに宇宙の発生の問題がある
だからそこではさまざまなファンタジーも展開される

精神医学では特に反復性に乏しく一回性が強い
無論、人間の精神について、男性というものは、とか、女性の脳は、など、
非常に反復性に富む視点で語られることがあるのだけれども、
無論、精密な話ではない

何かの視点で切り取れば、反復性は高まるのだけれども、それが正しいことなのか
疑問に思うので、知的に誠実であるかぎりは、なかなかできないことである

たくさんのほぼ盲目的な営みの果てに何かが結実するのだが
遥かに時間がかかるだろう

治療者にとっては反復性のことが
患者にとっては一回性であると感じられていることがある

治療者が切り取る側面によっては反復性であるが
患者にとっては当然のことであるが一回限りのことである
切り取る側面が狭ければ反復性を見出すことができるが
患者は自分自身をどうしても一回性のものとして考えたいし
治療者にもそのように考えて欲しいと願うだろう

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一回性にこだわればジャズの演奏に似たものになる

反復性にこだわれば科学に近くなる