文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫) 「われわれは戦争を望んでいるわけではない」「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」。いま世界のいたるところで飛び交っている主張である。当事国の双方がまったく同じ論理で相手を非難して自己を正当化する。両次世界大戦から冷戦、東欧でも中東でも、現在にいたるあらゆる紛争において流布され世論を操る、巧妙かつ効果的ともいえる手法である。ポンソンビー卿の古典的名著『戦時の嘘』の指摘をふまえて、こうした戦争プロパガンダの基本的なメカニズムを検証するのが本書である。当事国がメ

文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫)
「われわれは戦争を望んでいるわけではない」「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」。いま世界のいたるところで飛び交っている主張である。当事国の双方がまったく同じ論理で相手を非難して自己を正当化する。両次世界大戦から冷戦、東欧でも中東でも、現在にいたるあらゆる紛争において流布され世論を操る、巧妙かつ効果的ともいえる手法である。ポンソンビー卿の古典的名著『戦時の嘘』の指摘をふまえて、こうした戦争プロパガンダの基本的なメカニズムを検証するのが本書である。当事国がメディアと結託して広める嘘に隠された真意を読み解く、メディアリテラシーを研ぎ澄ませる一冊。
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暴力というものは残忍なものである。戦争とあればなおさらだ。また、自国にも多くの犠牲や我慢が生じる戦争という行為は、たとえ独裁体制であったとしても、国民の支持をきちんと取り付けなければ大々的に行うのは難しい。だから、自ら侵略者だと宣言して戦争を仕掛ける国はない。やむをえない防衛戦であるとされ、そのための大義名分が前面に押し出される。「平和への意志」はヒトラーの演説にかなりの頻度で登場する。アメリカは民主主義の国だが、侵略にさらされている弱い国を救い、世界の民主主義を守ることに多くの国民が同意すれば、世界のあちこちに軍隊を差し向けることができるし、事実そのようにしてきた。プロパガンダはそのような流れを生み出すために大きな役割を果たす。そのパターンは以下の10個に分類できる。
「われわれは戦争をしたくはない」
「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
「われわれの大義は神聖なものである」
「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
プロパガンダは戦争前から始まる。指導者は、我々は戦争を望んでいないのだが防衛のために必要なのだ、あるいは弱者を守るために必要なのだと宣言する。敵国の指導者は悪の権化に仕立て上げられ、相手の軍隊は残忍で卑劣で極悪非道な行為をしていると喧伝される。中には自然発生的に生じるものもある。一方、自軍の誤爆や残酷な行為は不本意で例外的なミスとされ、報道される場合も二次的な扱いになる。ひとたび戦争が始まれば、メディアは当面の間、批判能力を失う。現代人はテレビに映っていることでないと信じないから、情報戦はより巧妙になっているが、基本的なプロパガンダのパターンには大きな変化はない。
言葉の選択も印象操作に無視できない役割を持つ。例えば、「空襲」という単語は近年避けられるようになり、同じ行為であるにもかかわらず「空爆」と称されるようになった。他にも、自国の陣営について語るときは「領土の解放」「民族の移動」「墓地」「情報」という言葉が使われるが、相手の陣営が同じことをするときには「占拠」「民族浄化」「大量虐殺」「死体置き場」「プロパガンダ」というネガティブな響きの単語が使われる傾向がある。
疑うことは重要だが、疑いすぎることも問題を深刻化させることがある。例えば、第二次世界大戦当時の英米人は、ナチスドイツがユダヤ人収容所でやっていることをなかなか信じようとしなかった。何が真実かもわからないことがある。コソボにおけるセルビア人の死者は2500人から50万人まで様々な主張が存在する。ちなみに、プロパガンダで相手国の指導者を貶めようとするような手法は、国内の対立においても使われる。読みながら、プロパガンダというものについて、非常に深く考えさせられた。
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本書を一言で言えば、戦争・紛争時における(各当事者である)国家・政府の「プロパガンダ」と情報に対する「メディア・リテラシー」を啓蒙するものと言えようか。もう少し具体的には本書の趣旨を言えば、このページの上の「商品の説明」にあるように、往々にして観られるところの戦争・紛争の「当事国の双方がまったく同じ論理で相手を非難して自己を正当化……現在にいたるあらゆる紛争において流布され世論を操る、巧妙かつ効果的ともいえる手法……ポンソンビー……の指摘をふまえて、こうした戦 争プロパガンダの基本的なメカニズムを検証する」ものである。右紹介に観られるように、そもそも「あらゆる紛争」における各当事国の「まったく同じ論理で相手を非難して自己を正当化」するという局面では、双方の論理や正義ないし正当性は凡そ相対化されてしまうと言う歴史的本質がある。従って身も蓋も無い言い方をすると、当該紛争の結果如何に関わらず、当事国が自ら戦争・紛争に絶対的・客観的な正義・大義、又は正当性等を求め、主張すること自体が“ナンセンス”と言うべきだろう。これは日本の歴史的な“法原則”である「喧 嘩 両 成 敗」にも現れている。閑話休題、本書は歴史的な戦争・紛争事象、主としてヨーロッパにおけるWW1・2、ユーゴ空 爆(コソボ紛争)等に見える、各当事国が主張・喧伝した「プロパガンダ」(論理・批判)と各戦争・紛争の実態とを実証的・批判的に検証し、それらに内在する虚構性と論理の相対化を明らかにすることで、かかる情報・メディア・リテラシーを啓蒙するものである。
構成・内容は同前「商品の説明」及び「目次を見る」に譲り、以下では個人的に興味を惹いたトピックを紹介したい。著者は前述のように、「ポンソンビー」の指摘する、戦争・紛争の当事国(の「国家元首」など)が主張する典型的な論理・主張(原則)を10件ほど取り上げて、これに見事に該当する個別具体的な主張・喧伝・批判等の「プロパガンダ」(の虚構)を詳細に検証するが、ヨーロッパにおけるWW1・2などでの“残 虐・非 道”のフィクション性の実証(80〜100・120〜136頁)に興味深いものがある。右では商業的広告や「芸術家や知識人」を動員する「戦争プロパガンダ」の虚構性と都市伝説化を指摘する。勿論、著者は戦争・紛争における“残 虐・非 道”を全否定する訳ではなくて、一定の事実性を認めた上で非難の応酬とそのエスカレートが産み出す「プロパガンダ」の虚構性(粉飾)を
批判するものである。かかる事象は、昨今の日本を取り巻く東アジアの「歴史問題」にも当てはまるもので、「プロパガンダ」の虚構性を感じずには居られない。戦争・紛争における事実と各当事国の主張との齟齬・相対性、即ち「プロパガンダ」を厳しく(批判的に)検証すべきことの重要性を示唆するものと言え、こなれた翻訳もあって読みやすい一冊だろう。
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この本は2002年に出版された同名の単行本の文庫化されたものです。
訳者あとがきに訳に少し手を入れたとあるので、内容の追加は無い様です。
この本の10の章題は、アーサー・ポンソンビーというイギリスの政治家が1928年に上梓した「戦時の嘘」という本にあるプロパガンダの10の法則に基づいたもので、第1次世界大戦だけでなくその後の第2次大戦やユーゴ空爆を例にとってそれぞれの法則を明らかにしようとしています。
印象的だったのはメディアは嘘を平気でつくということです。
嘘の記事を書いたと告白した記者の話があったり、第1次大戦中に「手の無い子供」というデマが大流行したり、湾岸戦争ではイラク人が保育器を奪うために中の子供を引き出したというデマを広告代理店が作って広めたり(これらはすべて戦勝国側で起きたこと)とかなりショッキングでした。
他にも「手の無い子供」に関しては学者が嘘をついて「ドイツ兵に手を切断された100人の子供を見た」と新聞紙に証言したりと、権威というのは恐ろしいものだと考えさせられました。
筆者のあとがきにある通り、こうしたプロパガンダに批判的になりすぎることの弊害より盲目的に信頼を寄せることの弊害のほうが大きいということは実際その通りだろうと感じました。
残念なのは種本になっている「戦時の嘘」を読んでみたいがおそらく日本語では出版されていないことと、2002年の本なので9・11やその後の戦争については触れられていないことです。
何の権力も持たない一市民としては、こうした分野についての研究や著作がもっと活発になって欲しいです。
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本書には、国家が参戦しようとするとき、「これが唯一正しい選択である」との国民的コンセンサスをどのようにしてつくりあげてきたかを、史実をもとに検証し、『10の法則』という形で理路整然と述べられています。読んでいると幾度となく我が国の現在の元首の顔が浮かんでくるほど、ここにある事例と現首相の言動がオーバーラップします。また、第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」は、今の日本のメディアを写し出す鏡のようです。なので、国家元首・メディアから発せられる言葉と情報を冷徹に読み解き騙されないための教科書といえます。僭越ながら、歴史に学ぶことの大切さを教えてくれる目から鱗の一冊と推薦いたします。