鳥羽院の中宮待賢門院璋子に仕えた加賀という女房は、ある日誰という当てどころもなく、つまり、まだ恋もしていないのに、恋する男から忘れられ、棄てられた嘆きの歌を作ってしまった。  こうした場合、この歌を提出するのにちょうどの歌合が催されるのを待つということもあろうが、加賀はまだ若く、歌人としての名も知られておらず、歌合に招かれるほどの立場ではなかったのであろう。加賀はしかし、この歌を世に出したかったのだ。その歌、   かねてより思ひし事ぞふし柴のこるばかりなる歎きせむとは   待賢門院加賀    

 鳥羽院の中宮待賢門院璋子に仕えた加賀という女房は、ある日誰という当てどころもなく、つまり、まだ恋もしていないのに、恋する男から忘れられ、棄てられた嘆きの歌を作ってしまった。
 こうした場合、この歌を提出するのにちょうどの歌合が催されるのを待つということもあろうが、加賀はまだ若く、歌人としての名も知られておらず、歌合に招かれるほどの立場ではなかったのであろう。加賀はしかし、この歌を世に出したかったのだ。その歌、
  かねてより思ひし事ぞふし柴のこるばかりなる歎きせむとは   待賢門院加賀
   (はじめからこの恋については予感していたことなのです。ふし柴を樵(こ)るという言葉のように、懲(こ)りごりするほどの、忘れ去られた女の歎きをするだろうことになるとは)
 歌としては、今までみてきた巧者の歌に比べてややぎこちなさがあり、観念的だ。技法も掛詞がわずらわしくみえる。しかし、これが題詠としてではなく、恋の具体をもち、そしてのち忘れられた女の歎きとして、男のもとに届けられたとしたらどうであろう。歌合に招かれる立場にない加賀はその時の効果に賭けてみようとしたのだ。
 加賀が恋の相手として選んだのは、大胆にも時の一の人、後三条天皇の第三皇子で賜姓の源氏、従一位左大臣源有仁である。望んだからといってなかなか近づける人ではない。しかし、待賢門院という社交的舞台にチャンスがなかったはずはなく、みごとに顕貴の人有仁に接近し、そしてその愛人の一人となった。有仁は詩歌・管弦にもすぐれ、優雅な性情でもあったのだろう。しかし、その身辺は公私ともに繁忙であったはずで、加賀ははじめの思わくどおり有仁から忘れられてゆく。その時、予定どおりにこの歌を贈ったのである。
(中略)この加賀の逸話を伝えた歌書はひじょうに多く、加賀は高名の歌人のように「伏柴の加賀」とまでよばれるようになる。歌合に勝利を得たわけでもなく、加賀の若き日の無題の恋の歌一首は、自らの歌に合わせた不運な恋の人生を歩むことによって今日に残った。たしかに加賀と有仁との身分差は、いずれこうなる運命だったとしても、歌人とはすごいものである。
馬場あき子『日本の恋の歌~恋する黒髪~』