精神にとっての他者

素朴には人間の内部に欲動を考えて
そのぶつかり合いを考える

美味しいものを食べたいけれど
太りたくない

性的に冒険もしたいけれど
今の暮らしを壊したくないし
病気も怖い

そうした欲動というものは本能につながっている場合は考えやすい
マズローの欲求の段階のように考えれば
かなりすっきりする

しかし人間は本能以外のものをたっぷりと含んでいる
こんなにも

そして本能以外の何かというものは
たぶん圧倒的に他者のことなのだと思う

たとえば日本語などそれぞれの母国語をを考えてみて
現実に接する範囲の他人、テレビで見る他人、読書で接する他人、などの総合の蓄積
つまりは他人の蓄積が言語なのだと思う

今まで出会った他者が心の中に小人のようにいて
そのような内的他者と会話したり、もしこうしたらこうするかななどとシミュレーションしたりして生きている

その内部他者と現実の外部他者が大きく異なるときに不適応になる

そのように考えてくると内的欲動の一部分は他者であるとの考えも出てくると思う

他者のいない純粋な欲動が内部でぶつかるなんていうのも考えにくい