小説やエッセイなどの文章に接することで
何が楽しいのかといえば
多分、自分の属している集団よりも、魅力的で先進的で上等と考えられる集団の
言葉や考え方や習慣や行動を学ぶ場所になっていたのだと思う
だから昔は中国大陸の文章の翻訳が語られたのだし、
現在では欧米の文章の翻訳がさまざまに発信されている
知識人という人たちが海の向こうではこんな感じだよと伝えてくれる
しばらく前までは海外旅行も特権的なものだったはずだ
自分の属する社会が間違いなく世界で一番上等だと考える人達は
たとえば昔の中国大陸の人達とか現在のアメリカの一部の人たちがそうなのだが
他の文化を積極的に学ぶ動機がない
中華思想である
日本人でもだんだん年をとって様々な経験が蓄積されてくると
上位分化への同一化のための読書ということはなくなる
自分と同じ以外の文化は下品で低能で浅薄だと信じている
むしろ自分では体験したことのない下位の・小規模な・サブカルチャー的な・別世界を
いたずら気分で覗いてみたいという動機のほうが強くなると思う
映画などでも、そこに現代の自分の恋愛のお手本を見るのではなく、
ハリウッド作の超未来世界や新興国地域の人々の現在の気持ちを追体験して見るという、
現実生活の利得はあまりない楽しみ方になる