第153段:為兼(ためかね)大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て(ゐて)行きければ、資朝卿(すけとものきょう)、一条わたりにてこれを見て、『あな羨まし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ』とぞ言はれける。 ーーーーー 為兼大納言入道が(鎌倉幕府への謀略の疑いで)召し捕らえられた。武士どもが取り囲んで六波羅探題(幕府による京都の監視機関)に連行する様子を、資朝卿は一条のあたりで見ていて、『あぁ、羨ましい。この世に生きたという思い出。為兼大納言入道のような生き方こそ望ましい』と言っ

徒然草第153段:為兼(ためかね)大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て(ゐて)行きければ、資朝卿(すけとものきょう)、一条わたりにてこれを見て、『あな羨まし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ … Read more 第153段:為兼(ためかね)大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て(ゐて)行きければ、資朝卿(すけとものきょう)、一条わたりにてこれを見て、『あな羨まし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ』とぞ言はれける。 ーーーーー 為兼大納言入道が(鎌倉幕府への謀略の疑いで)召し捕らえられた。武士どもが取り囲んで六波羅探題(幕府による京都の監視機関)に連行する様子を、資朝卿は一条のあたりで見ていて、『あぁ、羨ましい。この世に生きたという思い出。為兼大納言入道のような生き方こそ望ましい』と言っ


徒然草第157段:筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤(だ)打たん事を思ふ。心は、必ず、事に触れて来る。仮にも、不善の戯れをなすべからず。 あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文も見ゆ。卒爾(そつじ)にして多年の非を改むる事もあり。仮に、今、この文を披げ(ひろげ)ざらましかば、この事を知らんや。これ則ち、触るる所の益なり。心更に起らずとも、仏前にありて、数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善業自ら修せられ、散乱の心ながらも縄床に座せば、覚えずし

徒然草第157段:筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤(だ)打たん事を思ふ。心は、必ず、事に触れて来る。仮にも、不善の戯れをなすべからず。  あからさまに聖教の一句を見れば、 … Read more 徒然草第157段:筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤(だ)打たん事を思ふ。心は、必ず、事に触れて来る。仮にも、不善の戯れをなすべからず。 あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文も見ゆ。卒爾(そつじ)にして多年の非を改むる事もあり。仮に、今、この文を披げ(ひろげ)ざらましかば、この事を知らんや。これ則ち、触るる所の益なり。心更に起らずとも、仏前にありて、数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善業自ら修せられ、散乱の心ながらも縄床に座せば、覚えずし


徒然草第164段:世の人相逢ふ時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。 これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。 ーーーーー 世の人が会う時には、少しの間も沈黙していることがない。必ずそこには雑談・世間話の言葉がある。その話を聞いていると、多くは無益な雑談である。世間に流布している根拠のない噂話・評判、他人の良いことと悪いことについての雑談、自分と相手にとって失うものばかり多くて、得るものは少ない。

徒然草第164段:世の人相逢ふ時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。  これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。 … Read more 徒然草第164段:世の人相逢ふ時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。 これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。 ーーーーー 世の人が会う時には、少しの間も沈黙していることがない。必ずそこには雑談・世間話の言葉がある。その話を聞いていると、多くは無益な雑談である。世間に流布している根拠のない噂話・評判、他人の良いことと悪いことについての雑談、自分と相手にとって失うものばかり多くて、得るものは少ない。


徒然草41段:五月五日、賀茂(かも)の競べ馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雑人(ぞうにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。 かかる折に、向ひなる楝(あうち)の木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう睡りて(ねぶりて)、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ者かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひし

徒然草41段:五月五日、賀茂(かも)の競べ馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雑人(ぞうにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。  … Read more 徒然草41段:五月五日、賀茂(かも)の競べ馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雑人(ぞうにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。 かかる折に、向ひなる楝(あうち)の木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう睡りて(ねぶりて)、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ者かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひし


徒然草第175段:世には、心得ぬ事の多きなり。

徒然草第175段:世には、心得ぬ事の多きなり。ともある毎(ごと)には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪え難げに眉を顰め、人目を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて … Read more 徒然草第175段:世には、心得ぬ事の多きなり。


徒然草第188段:或者、子を法師になして

徒然草第188段:或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説教などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のままに、説教師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請(しょう)ぜられ … Read more 徒然草第188段:或者、子を法師になして


徒然草第168段:年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、『この人の後には、誰にか問はん』など言はるるは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。『今は忘れにけり』と言ひてありなん。 大方は、知りたりとも、すずろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。『さだかにも辨へ(わきまえ)知らず』など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべ

徒然草第168段:年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、『この人の後には、誰にか問はん』など言はるるは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。 … Read more 徒然草第168段:年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、『この人の後には、誰にか問はん』など言はるるは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。『今は忘れにけり』と言ひてありなん。 大方は、知りたりとも、すずろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。『さだかにも辨へ(わきまえ)知らず』など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべ


徒然草第167段:一道に携はる人、あらぬ道の筵に臨みて、『あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを』と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、『あな羨まし。などか習はざりけん』と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、角ある物の、角を傾け、牙ある物の、牙を咬み出だす類なり。 人としては、善に伐らず(ほこらず)、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へ

徒然草第167段:一道に携はる人、あらぬ道の筵に臨みて、『あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを』と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、『あな羨まし。などか習 … Read more 徒然草第167段:一道に携はる人、あらぬ道の筵に臨みて、『あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを』と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、『あな羨まし。などか習はざりけん』と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、角ある物の、角を傾け、牙ある物の、牙を咬み出だす類なり。 人としては、善に伐らず(ほこらず)、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へ


徒然草第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。 ーーーーー 世俗の人々が忙しく動いている営み・仕事を見ていると、まるで春の日に雪仏を作って、そのために金銀・珠玉(宝石)の飾りつけをし、御堂を建立しようとしているかのようである。御堂が完成するのを待って、すぐに溶けてしまう雪仏を安置することなどできるのだろう

徒然草第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなる … Read more 徒然草第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。 ーーーーー 世俗の人々が忙しく動いている営み・仕事を見ていると、まるで春の日に雪仏を作って、そのために金銀・珠玉(宝石)の飾りつけをし、御堂を建立しようとしているかのようである。御堂が完成するのを待って、すぐに溶けてしまう雪仏を安置することなどできるのだろう


徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。 ーーー これは微妙な問題であるが、たしかに

徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌 … Read more 徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。 ーーー これは微妙な問題であるが、たしかに