見るもの、聞くことにつけ、
連想の質が悲観的、自責的、後悔を伴うものであることが、
うつ状態である
個々の言葉や音楽や視覚イメージがあれば、
それにまつわる、個人の内部イメージシステムがあって、
その内容としては、悲観的なものもあれば、楽観的なものもあるはずなのであるが、
うつ状態のときに出現してくるのは、悲観的な連想ばかりである
そこで、自分が悲観的な連想のみに導かれていると気付き、自覚し、
さらにもっと他の連想の仕方も可能であることを実際に練習してみる、
そのようにして時間を過ごせば、
自分の内面と深く対話することになる
年をとってから後、自分の内面と対話し、吟味してゆくことは、
反面苦痛を伴うのであるが、
自分の生きてきたただ一本の道を擬似的に「複線化」することにも通じている
生きてきた事実はただ一本であり一つであるが
その周辺に、にじみのように、いろいろな可能性を宿していることが感覚できる
それは一種の豊かさであると思う
それを味わうことは苦い反面、甘美でもある
そのようにして老年にいたり『幅』を感じ始めるのであるが、
それは、自己の内面だけで感じているのでは形が定かではないし、感覚としても定着しない
何かの形で他人に伝えてみることがやはり重要であると思う
そのようにして他人と共有化された『幅』や『豊かさ』『にじみ』は、
老年の収穫である