徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。 ーーー これは微妙な問題であるが、たしかに

徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌 … Read more 徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。 ーーー これは微妙な問題であるが、たしかに


鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。 徒然草 第百十九段 カツオなんてねえという話であるが 最近で言えばあけびとかカラス貝とかがそのようなものだろう むかしは捨てていたものだ

鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て … Read more 鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。 徒然草 第百十九段 カツオなんてねえという話であるが 最近で言えばあけびとかカラス貝とかがそのようなものだろう むかしは捨てていたものだ