冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。 しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が現れてくる。それが、「カントールのパラドクス」であり、「ラッセルのパラドクス」であり、「ゲーデルの不完全性定理」である。 カントールのパラドクスとは、「全ての集合の集合なるものが存在し得るか」というものである。 「全ての集合の集合」などというものが存在し得るのであれば、この集合Xはあら
冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。 しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が … Read more 冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。 しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が現れてくる。それが、「カントールのパラドクス」であり、「ラッセルのパラドクス」であり、「ゲーデルの不完全性定理」である。 カントールのパラドクスとは、「全ての集合の集合なるものが存在し得るか」というものである。 「全ての集合の集合」などというものが存在し得るのであれば、この集合Xはあら