徒然草49段部分:老(おい)来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ち(たちまち)にこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。 人は、ただ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。
徒然草49段部分:老(おい)来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ち(たちまち)にこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるな … Read more 徒然草49段部分:老(おい)来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ち(たちまち)にこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。 人は、ただ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。