オットー・ランクはモーゼ、エディプス、ローエングリンなどの英雄物語を分析し、共通する図式を抽出した その後、出生外傷の理論を提唱する ここではエディプス・コンプレックスを否定し乗り越えるようなことになる ランクにとってフロイトは父と同等だった その父を新理論によって乗り越えることはまさにエディプスの物語であり 英雄物語の骨格そのものである エディプスを超える理論を提唱して エディプスの物語を成就してしまう トリックのような矛盾であるが、ときどきこんなことも言われている ーーー 幼いころの素朴な実感

オットー・ランクはモーゼ、エディプス、ローエングリンなどの英雄物語を分析し、共通する図式を抽出した
その後、出生外傷の理論を提唱する
ここではエディプス・コンプレックスを否定し乗り越えるようなことになる

ランクにとってフロイトは父と同等だった
その父を新理論によって乗り越えることはまさにエディプスの物語であり
英雄物語の骨格そのものである

エディプスを超える理論を提唱して
エディプスの物語を成就してしまう

トリックのような矛盾であるが、ときどきこんなことも言われている

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幼いころの素朴な実感として、
父は世界で一番強くて偉い、母は世界で一番優しくて美しいと思うことがあるが
現実世界を知るに連れてそれは幻想であると知るのであるが
その幼い幻想を保持しようとする欲望もあり、
そのとき、父はじつは素晴らしいのだとする方向と、本当の父は別にいるかもしれないという方向に別れるのだと論じ、
本当の父の正体と別離の物語を空想するようになり
それを骨格として、英雄物語が構成される

空想英雄物語の起源をこの様に説明するらしい
日本で言えば平清盛の出生にまつわる物語などもこの類型である
人間の想像力は案外この程度を限界としてさまよっているものなのかもしれない

また各国で王様というものについて、民主主義を掲げつつ、平等主義を是認しつつ、
貴種としての王の存在を喜びまた誇る民族も多数ある
なぜ王の存在を求めるのかについても、幻想としての父の物語と関係していると
見ることもできるだろう

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最近の報道では不妊症治療としての卵子の凍結保存とか、
養子縁組制度についての考えなおしとかが言われている
出生にまつわる精神分析的考察も変化してゆくものだろうかと思う

出生外傷について言えば
最近ではますます開腹術による出産が増えていると思うので
それは人類に共通の体験である出産外傷を体験しない人間ということになるのだろうか