徒然草17段:山寺にかきこもりて、仏に仕う(つかう)まつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。
山寺に籠もって仏にお勤め(勤行)することは、とりとめも無く、心の濁り(世俗の煩悩)も清まる感じがする。
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こうしたことは宗教の持つ「装置」の部分の効果である
装置だけでも宗教として充分に成立するところが人の心の不思議なところだ
装置だけでも宗教として充分に成立するところが人の心の不思議なところだ
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現代でもお経の様子をアメリカの人が見学すると、
「何を祈っていたのか」と聞かれ、
答えられないので、「男声合唱のようなものでしょう。日本人にも意味はわかりません」と説明する
最近では日本語として分かるお経もあり、それはそれで興味深い