徒然草45段:公世(きんよ)の二位のせうとに、良覚僧正(りょうがくそうじょう)と聞えし(きこえし)は、極めて腹あしき人なりけり。
坊の傍(かたわら)に、大きなる榎の木(えのき)のありければ、人、「榎木僧正(えのきのそうじょう)」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。
藤原公世(ふじわらのきんよ)の兄弟に、良覚僧正といわれる人がいたが、とても怒りっぽい人だった。
僧坊(僧の住居)の傍らに、大きな榎の木があったので、人が良覚のことを『榎木僧正』と呼んだ。すると、この渾名は不適切だといって、この榎の木を切ってしまわれた。しかし榎の木の切り株が残ったので、人が『きりくいの僧正』と呼ぶと、良覚はますます腹を立てて、切り株を掘り出して捨ててしまった。その掘り出した後が大きな堀になったので、良覚は『堀池僧正』と呼ばれるようになってしまった。
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これは学生も習うから、たいそう有名。
漫才のネタのような感じ。
徒然草の作者は一貫して、いまでいう「上から目線」なのであるが、
この場合には、笑いながらも、そう悪く思っていない様子はある。