徒然草では無教養なもの、田舎者、などが低く見られていて、
一方で、権力も名誉も金も捨てて出家するのが良いという
作者自身は孤独でもないし孤立してもいないし貧困でもないようだ
宗教的思索を深めているわけでもない、政治にも対して関心がない、
人間性の深みを描くわけでもないし、時代の特徴を描くわけでもない、
いかにも平板で、子ども新聞じみた話が続く
いまでいえば雑誌「小学六年生」の連載エッセイのようなものだろうか
田舎の無教養なものとは鎌倉に住む人々のことだろうかと思うが
野蛮な人々に侵略された上品な人たちの嘆きというものは
いつでも文学になるものなのだろう
没落貴族である
出家するのが良いと大雑把に言うのであるが
実際は、仏教内部でも宗派対立が激しいわけで
そのあたりには全く関心を払っていないようである
また、記事の中には論語のことも出てくるのであるが、
出家する仏教者の理想と、論語で語られる儒者の理想の食い違いについても、
本格的に論じられることもないようである。
また、当然であるが、日本独自の神々のことなど、語られることはない
大人ならば、親に隠しても持っていて、ときどき読み返したいと思うようなものが
文学だと思うが、徒然草はその点で全く無味無臭で脱政治、脱宗教、
若者に毒にも薬にもならない程度の文章ばかり並ぶ。
一人の人間が生きていて、こんなにも平板なことしか思わないというのは
統合失調症の陰性症状としか思えないのである
もちろん、豊かな文学世界はあったに違いないのであるが、
それらは全て焚書坑儒により抹消されたのであろう
また、ずぶとい人は徒然草を加筆訂正したはずで、そちらの『面白いバージョン徒然草』も
多様にあったはずだと思うが、そうしたものも今紹介されることはないようだ
ゆるゆるの現状肯定文学がこうして目の前に残っている
たぶん、子供に見せたくないものはどんどん削った人がいるのだろう
自分用に面白いところは残しておいて、人々に与えるものとしては、無味無臭のものを残したのだろう
子供用に寺子屋で使用するにはちょうどよかったのかもしれない
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藤原定家は紅旗征戎は我が事にあらずとして
和歌に生き、
有職故実を子孫のために必死に書き残していた
明月記の方は大人の日記である