この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠(がくしょう)・辯舌(べんぜつ)、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕して餐膳(きょうぜん)などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。斎(とき)・非時(ひじ)も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。徒然草60段の一部
この僧都は、外見・容姿が良くて、力が強く、大飯ぐらいである。書道、学問、弁論、全ての分野にも優れていて、寺でも重く用いられていた。しかし、どこか世間をバカにしている曲者でもあった。すべて好き勝手に自由にやって、人の言うことなど聞くことがない。寺の外の法事のときにも、自分の目の前にお膳があると、他の人のお膳が準備されていなくても、さっさと自分一人だけで食べてしまう。帰りたくなれば、一人で立ち上がってそのまま帰ったという。寺での食事も、周囲に配慮することもなく、自分の食べたい時には、夜中でも明け方でも食事をする(食欲を我慢することがない)。眠たい時には、昼間でも部屋に籠って寝てしまう。どんな大切な用事があっても自分が起きたくないなら起きない。目が冴えてくると、真夜中でも歌など詠みながら散歩をする。普通ではない有様であるが、人に嫌われることもなく、すべての我がままは許してもらっていた。きっとこの僧侶の徳が高いからなのだろう。