先輩の説によれば、コミュニケーション障害や注意障害の人たちは
人類の一種の進化形だという
周囲の空気よりも
自分の興味とか自分の思いつきや自分の感情を大切にして生きている
集団行動に意味があるのは集団全体として危機の時らしい
栄養が足りないとか、外的に食べられてしまうとか、とんなときだ
例として語られるのは
栄養が豊かな環境では単細胞生物として生き
栄養が乏しい環境では多細胞生物の一部として生きる
そのような生物である
一人で勝手に生きられる環境があれば一人で勝手に生きたいものであるらしい
そして、一人で生きるには不利だと決まったら、
たとえば動物の肝臓の一細胞に特殊化・専門化して生きるもののようだ
会社の中で役割を引き受けて給料をもらうのは
全体機能の中の一機能を分担する一細胞となることだ
そうならないで、自分一人で生きたっていいじゃないかと主張し、
周囲とのコミュニケーションはあまり重視しない
他人や周囲の環境にあまり注意しない
自分が自分らしく生きていけるならその方がいい
それはたとえば持って生まれたDNAを試してみることだとも言える
貧しい環境ならば、全体の中で一歯車となることもいいのだろうが
豊かな環境なのだから、一人の内的事情を主張しながらで生きることにチャレンジしたい
というのもとてもいいと思う
多種多様なDNAがあったとして、それらを集団化して機能させるとなれば、
各細胞の持つDNAの機能の一部しか使わないことになるだろう
集団化すれば平均化するので、全体機能としては平均的な機能しか出ない
しかしDNAが単独で生きてゆくとなれば
そのDNAの独自性が充分に発揮できることになる
ときに不利になるだろうが、集団では達成できなかったことが達成できるかもしれない
まあ、そんな話らしい