結婚生活に見る文明の衝突または文明格差
結婚前は愛し合っているのである、問題はない
結婚したあとで、家族は文化の継承者になる
その時、夫側の文化と妻側の文化の微妙な対立抗争が生じる
明治の結婚のように、男性側が文化的優位で、女性が文化的に同一化する嫁入り婚の形ならば
有無をいわさずであるから問題はあまり起こらない
また、女性側が文化的に優位である場合も、たとえば貴族の序列でどちらがどのくらい上かという点で
一次元的に比較可能ならば問題は起こらない
文化的序列には複数の基準があるので難しくなる
大げさにたとえていえば京都の公家のしきたりと鎌倉の武家のしきたり、また徳川将軍家は違うものであって
お互いがある面では自分たちのほうが上だと思っている
小さく例えて言えば、三越の課長と、経産省の課長はどちらがどのくらい文化的に優越しているのかということだ
給料なら比較しやすいが、文化的優越は比較しにくい
夫婦が仲良くしているうちは譲り合いもできるのであるが
喧嘩腰になると、この文化の優越を主張するようになる
妻の父親と夫が同じ会社だったりすると、
父があなたの年の頃は部長代理だったとか言い始める
また卒業大学が国立か私立かなども言い争いの種になる
各種の対立する文化が全面的に優越するということはないもので、
部分的に優位、部分的に劣位というのが実際であろうが、
この種のものは、一方が問題にしないとしても、他方が問題にすれば、解決はないのだから、難しい
お互いに主観的に文化的優位を確信している場合は
妥協点が見つからずに苦しいことになるだろう
愛の問題ではなく序列の問題になっている
パワーゲームでありマウンティングの問題である
ピケティ先生が言うように資産所得の格差は縮まらない性質があるので根強い優越感の基礎になるし
また一方で労働所得に関しては個人の才能という点でこれも根強い優越感の基礎になる
ここでもまた異なる優越感のぶつかり合いとなり、決着は付きそうにもない
世間でよくある例は資産家の娘と、稼ぎのいい男性の結婚であるが
どちらも自分の優越を確信しているので、幸せになることは難しい
お互いを尊重する態度が途中までは可能であるが
子供が生まれると、女性と家にとって大切なのは子どもということになってしまう
無論男性の側も適度な程度に婚外恋愛を楽しむことになり場合によっては子供をもうけたりもする
プライドなどという余計なものがあれば
毎日が煩わしくなる典型例である