“何かを表現する時に、「きっとこンな反発が来るンだろうな」と想定して、それに対応した言い訳を表現に折り込んだ時点で、それは己の表現ではない。表現者として一番恐ろしいのは、自分の表現を好きでいてくれる人の事よりも、自分の事が嫌いな人間の存在を、始終考えてしまう癖が付く事である。”
それが見えない檻である
我々はその檻の中でしか思考できないようだ
自分が考えたとか言っても
所詮は言葉というOSの範囲内でのことが多いのだ
第一、表現するということ自体、共同体に向けて、称賛を期待しているところがあるだろう
自分では伝達不可能で、他者には理解不可能
そのような事態が精神病では生起しているのであるが
それも「病気」という粗雑で解像度の低い「カゴ」にいれて人々は安心している