他人の心を知る方法

他人の心を知る方法

他人の心が今どう動いているか、
何を考え、何を感じているかを知ることは
対人関係を営むにあたり
本質的に重要である

他人の心を知る方法にも発展段階がある

(1)
まず一番原始的には
「そんな場合自分ならどう感じるか、どう考えるか」と
自分の心に尋ねる方法がある
それは当然だろう


ここで躓く人というのもいないのだが
自分の心と他人の心が随分違うなあと
気がついた時点である程度の躓きである
心の理論とかミラー・セルとかこの次元の話である
発達障害の場合は
自分の心を参照しても他人の心がわかるようにはならないので
(3)の項目で述べる、他人の心の推定法を学ぶ必要がある
もちろんある程度の知能が必要である
むしろ、これができるかどうかで、Mental Retardation なのか
PDDなのか区別もできるだろう

(2)
次に自分の心と

母親の心は違うのではないかと気がつく
これはなんとも残酷で深遠な発見なのだけれども
多分誰もが発見することだろう
ここですでに躓く人もいて
母子分離ができない


(3)
次の段階は社会全般にはどう考えるかなとという
発想になる
これは簡単に言うと現代国語の問題である

現代国語で独自の世界観を発揮してしまう人がいて
本人は問題のほうが悪いとか思うらしいが
それは現代国語というもののルールを知らないのだろう
筆者が何を考えたか、感じたかではなく
問われているのは
「出題者はどんな答えを想定しているか」
であり

「出題者は、頭の悪い人はこんなふうに間違うだろう」
と考えるのだろうからそれは選ばない
そんな具合なのだが
その場合の一応の基準が「社会全般」である


問題の体裁は「問題分の筆者はどう考えたか」という問になっているが
実際は「出題者はどう答えて欲しがっているか」に過ぎない

それなのに「俺は悪魔だから世界は破滅すればいい」とか考えても門前払いなのである


(4)
次には特殊集団の準拠思考があるので
その事を考えに入れて
今この人はこう考えているだろうなとか

推定するのである

頭の良い人は複雑で独自なものだが
頭の悪い人はだいたい同じように間違うものなのである

それもだいたい類別化できるものだ

だから、その人の心の拠り所というか
自分は何に属しているかという部分
アイデンティティとか準拠集団とか

そのあたりを把握しておけば
その人がどんな場面でどんな優先順位で物を考えるのか

だいたい想像できるようになる

そのアイデンティティのあり方は細分化できるし
複合化ももできるので
かなりファインに推定が可能になる

(5)

ここまでは価値判断を含まない

倫理を含まない推定であったが
もう一段進めて
やや説教臭くて
おばさん臭いのだけれども
自分なりの価値判断を含んだ推定というものも成立する
これは価値の問題なので
「推定が間違っていたとしても、私に悔いはいない」
という次元のもので
一種の伝道者である