自殺についての話をしていて 「私も、自殺をして彼と同じような立場になったことがありまして、 でも、私の場合は、死のうとは思いませんでした。 彼が死にたいと思ったという気持ちはよくわかるんですけれどもね」 というような発言があったとして 自分は死のうと思ったことは一度もない ということと 死のうと思う人の気持ちはよくわかるということとは どういう関係なのか、微妙に考えこむ 死のうと思ったことは一度もないという人に 自殺したいという気持ちがわかるはずはないのだという考えもあるだろうし 自分が死にたいと思う

自殺についての話をしていて
「私も、自殺した彼と同じような立場になったことがありまして、
でも、私の場合は、死のうとは思いませんでした。
彼が死にたいと思ったという気持ちはよくわかるんですけれどもね」
というような発言があったとして
自分は死のうと思ったことは一度もない
ということと
死のうと思う人の気持ちはよくわかるということとは
どういう関係なのか、微妙に考えこむ

死のうと思ったことは一度もないという人に
自殺したいという気持ちがわかるはずはないのだという考えもあるだろうし

自分が死にたいと思うことと
誰かが死にたいと思いつめている気持ちが私には分かるということとは
別のことで、両立するという考えもあるだろう

微妙で難しくて根本的で本質的な問題が内蔵されているように思う

説明はできるが了解はできないと表現したりする

「説明」は結局、「気持ちが分かる」とは違うのか
あまり違わないのか