採録
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在宅医療の歴史は、1980年代に始まりました。ピンクレディーが後楽園球場で解散コンサートを行った1981年には、「往診料」が診療報酬に位置づけられました。その後、国は1984年に「緊急往診加算」を新設して、徐々に在宅医療の普及に乗り出します。
本格的に在宅医療が推進され始めたのは、1986年からといわれています。ビートたけしとその仲間が写真週刊誌「フライデー」編集部を襲撃した年です。当時の老人保健法の老人診療報酬に「寝たきり老人訪問診療料」が新設され、定期的・計画的に患家を訪れて診療する「訪問診療」という概念が初めて導入されました。
患者の求めに応じて不定期に患家を訪問する往診しかなかった時代は、患者の状態が悪化したときしか在宅医が対応できなかったため、在宅生活の継続を諦めて入院してしまう患者が少なくなかったそうです。これに対して、訪問診療を行えば医師は患者の状態を常日ごろ把握できるので、状態悪化の予防やターミナル患者への対応などが可能になったのです。
その後、勝新太郎がコカインの不法所持で逮捕された1990年には訪問看護が診療報酬に位置づけられ、尾崎豊が死去した1992年には訪問看護ステーションが制度化されたほか、投薬料や検査料などを含んだ丸めの点数「寝たきり老人在宅総合診療料」(月2回以上訪問診療を行った場合に月1回算定)が新設されました。これらと並行して1980~90年代には、在宅人工呼吸や経管栄養、血液自己透析といった「在宅療養指導管理料」や「ターミナルケア加算」なども新設され、在宅医療の充実がますます図られていきます。
一方で、様々な点数項目ができるにつれて報酬体系は徐々に複雑化。例えば、在宅療養指導管理料は20種類以上に達し、各指導管理料には様々な加算ができました。さらに、どの保険医療材料料が指導管理料に含まれるのかなど、非常に細かく規定されるようになりました。
訪問看護においては、サザンオールスターズの「TSUNAMI」が大ヒットした2000年の介護保険制度の創設でややこしさに拍車が掛かります。介護報酬に訪問看護費ができ、中途半端に医療と介護の双方に規定されてしまいました。それだけでなく、診療報酬・介護報酬改定のたびにそれぞれに多くの加算が設定されてきました。