南無阿弥陀仏と唱えると浄土に行けるのでこの六字を唱える、と私たちは考えがちである。しかし、そもそも念仏において、その程度の理解だけでは、まだまだ思想的には十分ではないというのだ。「これこれの行為をしたら、こういう結果が待っている」というような思考の仕方は、まだこの世の中をみずからが制御できると思っていることになるからである。他力本願では、ただひたすらに自分が卑小であるという認識からスタートする。小さいからこそ絶対的に他力を恃むのである。そして、自己を極小にしていったその先には、祈る自分というものさえ否定さ
南無阿弥陀仏と唱えると浄土に行けるのでこの六字を唱える、と私たちは考えがちである。しかし、そもそも念仏において、その程度の理解だけでは、まだまだ思想的には十分ではないというのだ。「これこれの行為をしたら、こういう結果が待っている」というよう...