すべては遠いことのような気がする
そのとき後輩の車に乗っていて
私はカメラを持っていた
2006年的写真が撮りたいんだ
と私は言って
後輩はそれなら、とどこかに運んでくれたような気がする
それがどこだったか忘れてしまったし
はたして2006年だったかどうかも怪しい
写真など一枚も残っていない
(なによりそんなことはどうでもいい
そう、すべては遠いことだ)
思い出しているのは私だけで
私が死んだり認知症になったりすれば
もう誰も思い出しもしない
そういう私的で些細なことから私の人生は出来上がっていて
もう既に思い出すことに困難を感じている
それよりも
今日の肉じゃがは美味しくて幸せだった
(世の中の幸せな人達はこのような幸せの味わいを日常的に享受しているのだろうか)
私は昔からフォークソングが嫌いでジーンズが嫌いで
四畳半的な物語も嫌いで貧しさも嫌いだったが
ちゃらついた貴族も嫌いだったし
いつの間にか偉くなっている権威も嫌いで
要するに大半を嫌っていた
いま現実にはどん底のように貧しくて悲しい
キャベツをかじる元気なんかない
ここ何日も納豆とトマト味のパスタしか食べていない
炭水化物のとりすぎ
スーパーで牛肉の脂身大半の細切れが半額で出ていたので
腐りかけでおいしいだろうと思って買った
実際美味しかった
うちのおばあちゃんは牛は高等動物だと思っていたので
決して牛肉を食べなかったが
それは正しい態度だと今は思う
すべては遠いことで
140億年の宇宙から見れば遠いこと
人類の歴史は多分20万年くらいと言っていたので
そこから考えてみても
やはり全ては遠いこと
小さいことは気にしなくていいんだろう