労働が人格を作るという考え方が伝統的にある
二宮金次郎などがモデルになるのだろう
働かざるもの食うべからずという
一方で、イギリス貴族は労働を嫌悪し、むしろ軍人になったりした
たとえばジェーン・オースティン「高慢と偏見」
学問をしたのはたとえばダーウィン
遊んで暮らしていてもろくな事にはならないというのが
我々が一般に共有している感じ方だろう
サラリーマンが定年まで務め上げて、その後自由な時間を満喫するぞと意気込む
旅行に行ったり、趣味の講座に通ったりする
しかし旅行も趣味も約三年もすれば興味がなくなるとのことで
フィナンシャル・プランナーは老後資金の計画で
退職後三年はやや多めに支出、その後は支出が少なくなると見積もる
ついでに皆さん好きなのが同窓会であるが
だんだん飽きてくるし病気の人とか死亡者とか欠席が多くなり、だんだん開かれなくなる
妻が主に仕事をしている家、たとえば旅館などでは
夫は基本的に何もしなくて良い場合もあるらしく
地域の商店会組合に顔を出したりロータリークラブに出席したりする
基本的にはあまり尊敬されていないようだ
ひとつには実際に稼いでいる人が経済的に支えているのだという考えがあり
そこから人格に対しての尊敬なども派生すると思う
「誰が稼いでいると思っているんだ」
「家族のために我慢しているんだ」
と夫婦げんかでよく言われる
家事労働やその他、働いていない人の貢献は大きいと思うので、
実際にはそう威張るほどのことではないが、考え方としてはあると思う
その根底にも、労働は価値がある、労働している人がこの社会を支えていると考えるようだ
実際に労働していると、労働から開放されて思うままに
読書、旅行、趣味、スポーツなどできたらいいなと思うことがしばしばあるものだ
しかし現実に自由時間ができてしまうとほぼ確実に持て余す
第一に規則的な生活が難しくなる、その結果能率が悪くなる
次に締め切りがないとたいていは何も完成できない
また仕事以外で知り合う人に尊敬できる人があまりいない
さらには仕事の肩書があったほうが偉い感じがする
こうした理由で仕事していた時が懐かしくなる
仕事以外で社会的に認められて、人生の充実を感じることは実際にはなかなか難しいことだろうと思う
無能でだらしがない、魅力のない人でも仕事をしているから社会のなかで肯定されているのだ
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いろいろな背景があって、昔から、労働による治療ということが言われてきた
現在、あまり強調されていないのは
仕事そのものが少なくなってきていることもあるだろう
仕事以外の時間つぶしがそれなりに出来る豊かな社会になったことも理由なのだろう
単純労働が生活にも精神にもリズムをもたらし
規則正しい生活が健康につながるというのが古くからの知恵だろうと思う