悲嘆反応と精神病性うつと神経症性うつ

「そうか、そんな辛い体験をしたのか、それならうつになっても当然ですね」
という場合、これは正常の悲嘆反応と判断していることになる

「どんなにお話を聞いても、どうしてそんなに悲しくて憂うつなのか、よく分からないんです」
という場合、うつ病などの病気が疑われる。

これはおかしなことだと思う

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病気にはだいたい、
精神病レベルと、神経症レベルのふたつがある

妄想の病理と不安の病理と対応付けるのはあまりにも割り切りすぎているが
一応そんな感じで考えてみるのも悪くないのではないかと思う

会社恐怖症などという場合、
恐怖であることはわかるが、どのようにして形成されたのかについては、
なかなか共感できない。

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神経症レベルという場合、共感可能であるということが背景にあるのだが、
そのような理解の仕方をやめて、
不安恐怖があるもので妄想性要素がないものを指すようにすれば良いのだと思う。

言葉が混乱するので、素直に不安・恐怖タイプと名付けておいたらいいのではないか。

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いわゆる「新型うつ病」の場合、非精神病型であり、他者の了解を求めていろいろと説明する
うつ病という言葉をくっつけたことは妥当ではなかったとの反省も多い
新型会社恐怖症で良かったような気がする

資本主義の勃興期、農村から都市への労働人口の移動が
統合失調症のひとつのタイプの大量発生を生み出したように

現代日本社会のいろいろな「制度」が結果として新型会社恐怖症を
大量発生させている

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精神病レベルの病態の場合、現実把握にずれが生じてしまう。
そこからいろいろな反応が起こるのだが、当然、不安・恐怖も起こるので、
不安・恐怖は精神病レベルでは起こらないというものではない。
鑑別には役立たない。

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こう書いては見たものの、
不安・恐怖を精神病レベルの病態と区別できるのかどうかといえば、
従来からの習慣で、不安症とか恐怖症は神経症の部類だとの考えがあるだけであって、
心のなかにある想念と、客観的現実とを比較照合して、違っていたら訂正するというプロセスが
やはり働いていないだろうことは想像できる

この場合の客観的現実は二つあって、
ひとつは外在する客観的現実、
もうひとつは脳の中の不安・恐怖の現実、
そしてこの場合の妄想的確信は、脳の中の妄想的不安・恐怖ということになる。

「眼前の恐怖も、想像力の生みだす恐怖ほど恐ろしくはない」 (「マクベス」)
というような事情があって、
想像力で拡大されている部分がひとつの病気
正味の恐怖自体がひとつの病気
ということになるのだろう

恐怖そのものは現実である場合も多い
その場合は工夫して耐えるしかない
しかし想像力が生み出した部分に関しては
想像力の向きを変えてやるだけで消してしまうことができる

ひょっとしたら虚妄の恐怖なのではないかと疑った瞬間に
解決に至る