後輩の姉は神戸の震災のとき寝室で寝ていた。気がついた時には布団の左右にあったタンスが倒れかかってきていた。不思議なことにスローモーションのように思い出すのだが、左右のタンスが頭の上でぶつかって、三角のようになり、止まった。下で寝ていた私は助かった。私は何かに祈っていたような気もするし、全く空白だったような気もする。助かったんだと静かに思ったのはしばらくたってからの事だった。感謝するとしたら神にだろうなと思う。そして神は私に問いかけているように感じられる。あなたはどうするのかと。それは私がこの人生を生きる中で、神への問いかけに応えようと思う。タンスがちょうど頭上で止まってくれたことをどう考えたらいいのか、そしてそのことにどう応えたらいいのか、探している。
知り合いの知り合いであるが、その女性はもう80歳を超えていると思う、満州で育ち、敗戦の時に北朝鮮を経由して、日本に辿り着いたとの事だった。途中、北朝鮮で足止めされ、そこから船で日本に向かった時のことは、偶然の幸運としか言いようがないと語る。そして日本に帰ってからも苦難の連続だった。満州のお金は使えなくなったとか言っていたような気がする。戦後、私は何を目指したのでもないし、何を達成したのでもない、ただ一心に生き延びようとしただけだった。いろいろな人の慈悲がありがたかった。生きていて、神様仏様のことがありがたく思える瞬間があった。そう思うと自分のこの人生を生きることを大切にしたいと思う。一日一日を丁寧に生きることが、私の宿題だと思っている。