若い頃、自分が何を食べて、どんな店に行っていたかなどを考えてみると
愚かだったし趣味が悪かったし世界のことを知らなかった
その頃に祖父が一流の趣味人だったりして教えを受けることができたら
ずいぶん違った人生だったのだろうけれども
実際はそうではなかったし
偏屈な袋小路に自分なりに辿り着いて
それは誰のせいでもないと割り切ることもできるのだから
これでいいやとも思う
もっと良い人生もあったと思うが
これはこれで私にとっては愛おしい人生である
最高の人生を生きることは出来なかったとしても、
その人生を材料にして
いろいろと考察することはできるだろうと思う
それで充分に幸せだろう
すでに年老いたこの身を考えると
さほどのお金も必要ないし
いまさら権力にも用がない
異性もかかわりがない
美しいものといってもネットで拾えるもので充分である
感動する物語といってもパターンはしれているし
人間像というならば精神医学で分析してしまえるようなものだ
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古本屋で古い写真集を見たりすると、
その色の悪さに驚く
一体なぜこんな変な色なのかと思うが
それはそれでよかった時代なのだろう
いま鮮やかな高精細写真もやがて無用のものとなるのだろう
そして古寺の、目立たない仏像がありがたがられるように
価値の逆転も起こるのだろう