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某新聞の常務取締役まで務めたジャーナリストのブログに、こんなことが書いてあった。
「アジアの子供たちは貧しくとも目が澄んでいて生き生きとしていました」
こんなこと書く奴がまだいるんだなあ。類似の表現に「アジアは貧しいけれど人の心は豊かです」なんてのがある。だけど、こんなのうそっぱちです。
中国を含め、アジアの貧しい地域に私は何度も取材に行ったけれど、貧しいところでは、人の心はすさみ、犯罪が多発し、子供も大人も油断ならない連中が多かった。そんなことあったり前でしょう。
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これは単純に日本語の惰性と日本人の意識の惰性の中に生きているというだけのこと
惰性で生きているから本質的な摩擦も起こらない
摩擦が起こったとしてもそれは予定調和的な波風でしかない
むしろそういう役割でしかない
文章というものは常套句になるに連れて
無意味だが、集団内の一員として、恭順を誓い直す言葉なのだろう
新聞の投書欄には常套句が溢れている