採録
「CDCだから」信じていいの?
CDCといえば,感染症対策・感染予防において,現在もっとも権威のある(とされる)ガイドラインを発表している組織である。CDCといえば泣く子も黙る権威であり,「CDCにこう書いてありました」と言えばそれに表立って反対する人はいないと思う。それは「EBM」を具体化したものであり,CDCで提唱するガイドラインは「根拠に基づいた」ものであって,従来からの「何だか根拠がよくわからないガイドライン」とは一線を画するものとして地位が確立している。
このCDCガイドラインの問題点を直接指摘するのは,風車に向かうドン・キホーテみたいなものだろう。しかし,CDCガイドラインに見られるある種の「危うさ」があるのは事実である。そのような危うさをもつガイドラインであることは指摘されなければいけないと思う。
例えば,なにかというとCDCの提唱するガイドラインを引き合いに出される先生方がいらっしゃるが,これはCDCガイドラインは未来永劫正しいものだと考えてのことなのだろうか。
もちろん,CDCの提唱する内容が未来永劫正しいものではない事はご存知と思う。なぜなら,5年前のCDCガイドラインと今年のガイドラインでは,全く違う事が書かれていたりするからだ。多分,10年前のガイドラインと今年のでは,ほとんどの項目が書き換えられているんじゃないだろうか。これはもちろん,それまでCDCが「根拠」としてきた論文が否定され,新たな知見に基づく論文を「根拠」として採用したからだ。
もしもそうであれば,CDCが「これは正しい方法だ」と考える根拠はどこにあるのだろうか。CDCという組織が,その論文がなぜ「正しい」と考えて採用したのだろうか,という根本的疑問が出て来ないだろうか。
もしも,新しい論文が出てくるたびにガイドラインが変わるのであれば,CDCという組織は治療法の正誤の判断を放棄し,他人の書いた論文に委ねていると言われてもしょうがないと思う。もしも,治療法や予防法の正誤の判断を自分でしているのであれば,他人の論文なんてどうでもいいはずだし,他人の意見に左右される事もないはずだ。
しかし,現実のCDCガイドラインを見ていると,その内容はコロコロ変わっていないだろうか。要するに「エビデンスという名の他人の論文」任せだから,言っている内容がコロコロ変わるのだ。
こういうと,「その事実を指示する多数の論文があるから,それをエビデンスとするのは当然だ」という反論もあると思う。しかしこういう考えには「科学において事実は多数決で決まるのか」と反論したい。多数決で事の正誤が決まるのであれば,コペルニクスもガリレオもダーウィンもアインシュタインも間違いである。多数決で決めれば新しい知見は全て否定されてしまうはずだ。
自分が正しいと思えば,世界中を相手にまわしても自分の正しさを主張すべきである。多数決によらず,自分の考えの正しさを主張するのが科学者のはずだ。その意味で,CDCには「自分達はこれが正しいと信じる」という姿勢が感じられないのだ。だから,他人の意見(論文)でガイドラインが変わってしまう。CDCの基本的危うさはここにある。要するに,CDCとは独自の考えをもたず,他人の考えに流されているだけであり,いわば他人の意見を右から左に流して要領よくまとめているいるだけではないか,と思うがどうだろうか。
となれば,CDCガイドラインを「CDCだから」という理由で支持する人達の論理の立脚点はどこにあるのだろうか。CDCのガイドラインが変わるたびに,それに合わせて治療や予防法を変えるのであれば,その人はいったい何を正しいと信じているのだろうか。「CDCが変えたから自分の主張も変えます」では,その人の主体性はどこにあるのだろうか。
もちろん,医学は科学である以上,新しい知見で古い常識が捨て去られるのは当然の事である。だが,いくらそうであっても,何が正しく,何が間違っているかは最低限,個人で判断すべきことであり,多数の論文が支持しているからとか正しいとか,多数の研究者がそういっているから正しいとか,そういう態度は非科学的である。
太平洋戦争中,「日本軍万歳,日本は神国,大東亜共栄圏は不滅」と教えていた教師が,敗戦後,手のひらを返したように戦時中の教科書に墨を塗り「これからは民主主義です。戦争は悪です。マッカーサー万歳」と,コロリと態度を変えたそうである。生きていくためにはしょうがなかったと言えばそれまでだが,CDCのガイドラインが変わったからと言う理由で,昨日までの方法は間違いで今日からはこれが正しい方法ですと言うのは,上記の教師と変わらないような気がする。
こういう言い方をするのは失礼だと思うが,「CDCだから正しいに決まっている」「CDCが言っていることだから信じる」という姿は,私には「アメリカの政策に従うのは当然だ。アメリカが間違っているわけがない」とする某国の首相の姿と重なって見えてしょうがないのである。
アメリカ的思考?
ヨーロッパでの感染症学会に参加した先生から面白い話を聞いた。何でも,MRSA感染予防対策についてのセッションでアメリカの研究者とヨーロッパの研究者で,全く話が噛み合っていなかった,というのだ。
アメリカの研究者は「MRSAは環境(医者や看護師の手,病室のカーテンや床,医療器具,空気など)からやってくるので,これらをシャットアウトするのが感染予防になる」と主張し,ヨーロッパの研究者たちは「MRSAの一部は患者の皮膚からきたものだから,環境をいくらきれいにしても感染予防としては限界がある」と発表し,両者は全く歩み寄れなかったそうだ。シンポジスト同士の討論のときに,あまりのアメリカ人の頑固さに呆れ果てたヨーロッパの研究者は,「それではあなたは,空中にMRSAがいて空から降り注いでくるとでも思っているのか?」と質問したらしいが,アメリカの専門家は「その通りだ」と答えたという。
ここで気がつく人は気がついたと思うが,このアメリカ人研究者の考え方はCDCの思想そのものであり,手術部位感染(SSI)対策もCDCを根拠にしているから,全く同じ考え方である。
もちろん私はヨーロッパの方が正しく,アメリカの方が間違っていると考えているが,日本の大多数の感染対策の専門家はアメリカの考え(=CDC)を盲信してい
るのはご存知の通り。「天からMRSAが降ってくる? バカ言っちゃいけないよね」というのが当たり前だと思うが,なぜか感染症の専門家の先生方には,病原菌は空から降ってくる,そこらにバイキンがウヨウヨしているから消毒をしっかりとしなきゃ,というアメリカの発想を金科玉条の如く信じていらっしゃる人が少なくないようである。
るのはご存知の通り。「天からMRSAが降ってくる? バカ言っちゃいけないよね」というのが当たり前だと思うが,なぜか感染症の専門家の先生方には,病原菌は空から降ってくる,そこらにバイキンがウヨウヨしているから消毒をしっかりとしなきゃ,というアメリカの発想を金科玉条の如く信じていらっしゃる人が少なくないようである。
それは置いとくとしても,上記のアメリカとヨーロッパの思想の違い,何かに似ていませんか? そうです,アメリカの「戦争と平和」に関する考えと同じだ。
先般のイラク戦争を見てもわかる通り,この戦争でのアメリカの論理は「敵は外からだけやってくるから,外の敵を殲滅すれば国は安全になる」と言うものだと思う。外側の敵とは対話なんてできないから,敵方と話し合うなんてもってのほか,妥協なんて言葉すら出てこない。
そして,敵は徹底的に潰さなければいけない存在である。悪を潰すのが神の御心にかなう行為である。
健康についても同じで,体の内と外を完全に区別し,内側は正しくて外側は間違い,内側は健康なのに健康を害するものは外からやってくる,という思想である。
この思想が,上記の感染症学会で発表したアメリカ人研究家個人の思考の嗜癖なら害はないが,CDCのガイドラインを通読する限り,この傾向はアメリカに一般的なものではないかという気がしてならないのである。
だから感染症について考える場合も,とにかく体の外側に原因を求め,外界にある脅威(病原菌)を排除すればいいと考え,外からやってくる脅威を前もって全滅させれば感染は起こらないだろう,自分が手の触れるものは全て前もって滅菌しておこう,と,その方向だけの対策を考える。
そして,それでも感染を完全に減らせない場合は,「外にだけ敵がいるという発想は,もしかしたら間違っているんじゃないだろうか」とは考えずに,「これだけやってもまだ感染するのか。それはまだ外の病原菌を殺し足りないためだ。外から入る病原菌をどこかで見逃しているためだ」としか考えない。
要するに,自分の考えは信じて疑わない,という姿勢だな。
今回のアメリカ-イラク戦争もこういう意識が働いているんじゃないだろうか。以前からアメリカでは,物事を善悪で判断したがる傾向,白黒はっきりつけないと気が済まない傾向,白黒をはっきりした方が格好いいと好まれる傾向がある事は指摘されてきたが(要するに子供っぽい判断が好きなんだな),科学研究でもそれが発揮されているとしたら,CDCの研究の偏った方向性も全てうまく説明がつきそうだ。
これまで,CDCガイドラインの自己矛盾,そしてそういうガイドラインを神の啓示の如く信奉・盲信する日本の専門家の危うさについてたびたび指摘してきたが,ますますその感を強くした。