“当初、私もいちいち、「輝かしい」だの「驚嘆すべき」だの「まるで魔法のよう」だのとニュアンスを忠実に伝えるべく日本語に置き換えていたのだが、ひどく気恥ずかしい。不自然な嘘っぽい表現になってしまう。何しろ、『枕草子』の頃から、心を揺さぶられたおりの多様なニュアンスを、「あはれ」と「おかし」の二言で括ってきた伝統が、私たちの言語中枢に息づいている。若いお嬢さんたちが、好ましいモノすべてを、「カワイー」の一言で片付けているのも、清少納言の延長線上で捉えると、眉しかめるのも躊躇われてくる。”
“当初、私もいちいち、「輝かしい」だの「驚嘆すべき」だの「まるで魔法のよう」だのとニュアンスを忠実に伝えるべく日本語に置き換えていたのだが、ひどく気恥ずかしい。不自然な嘘っぽい表現になってしまう。何しろ、『枕草子』の頃から、心を揺さぶられたおりの多様なニュアンスを、「あはれ」と「おかし」の二言で括ってきた伝統が、私たちの言語中枢に息づいている。若いお嬢さんたちが、好ましいモノすべてを、「カワイー」の一言で片付けているのも、清少納言の延長線上で捉えると、眉しかめるのも躊躇われてくる。”