現代を生きる人間にとっての
性の軽さを思う
性的欲求不満が原因で何かの症状を起こすなんて
考えられない
というのが現代で
フロイトの当時の症例に関しての否定的見解もそのあたりの感覚と
連動しているのかもしれないとも考える
性は限定して短時間で安価に済ませるべきもので
人生の全体をかけるなどもちろんするはずがない
コミットなんかしないのである
昔はあったはずの男女の心中など最近は聞かない
同棲も気軽だし結婚も気軽、離婚も気軽で、こどもを連れて実家に帰る妻など珍しくもない
ひとことでいうとみんながふしだらになったのである
昔はそのようなことは
躁状態で困っている人とか
任侠関係の人とかに限定されていたものだと思うが
いろいろな技術の発達で
一般にも性の軽さ、享楽としての性が広がっていると思う
深くない性、である
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さらにそんな状況を修飾しているのが
モンゴロイドの特性であると思う
白人(といってもいろいろあるだろうが)や黒人(といってもまたいろいろあるだろうが)では
全般に見て、性的成熟は濃厚である
比較するとモンゴロイドは、子供から大人への発達の中間形態のような印象を受ける
男女とも中性的だし若年的である
日本女性がスポーツで強いのもその事と関係があるだろう
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性の嗜好や技巧が任侠関係の人々の思考や技巧の方向に
向かっているのは多分確かだと思う
多分そのような方向しかないからだと思うが
予測もできない未来が待っているというよりは安心感があるかもしれない
いや、未来について全然安心はしていないけれども
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性的なセレクションは
差異に関して働くのだろう
だから限定された集団の中では
あまりに性ホルモンが過剰である個体よりも
少しは出ているがやや薄い程度で
しかし生活には有利な程度に
性ホルモンが放出されている個体が有利なのだと思う
過剰な性ホルモンは仲間内で評価する限りは
生存に有利にはならないだろう
むしろ生活に有利な特性が有利なのだと思う
極端に暑かったり極端に寒かったりする地域では
そのようなセレクションではなかったということになるのだろう