そんなわけで、目の前にいる自分にとっての大切な人、
愛したい、愛されたい、
認められたい、褒められたい、肯定されたい、自己愛を満たして欲しい、
自分のうぬぼれも少しだけでも肯定して欲しい、
それが大切になる
大事な人でなければ、何か否定的なことを言われたとしても、
こちらからも否定して、ああやっぱり、ダメな人だったな
と思うことで終わりに出来る
しかし自分にとってあまりにも重要人物だと
否定された時のダメージが大きい
その分心理的に依存していたということが分かる
どうして依存してしまうのだろうか
と考えると、やはり、生育の中で何人かいた、自分にとっての重要人物との関係の「再現」「再演」を
待ち望んでいるのだろうと思う
そうなるとどうしても自分の側の古い経験を基準にして判断するので
古いテンプレートを持ちだして、目の前の人に当てはめることが多くなる
昔の恋人と比較されてものを言われるなんて最低だけれど
人間は基本はそのように物事を判断しているものだから
仕方がない
そのことがよくわかっているから
比べるな
という気持ちも強く湧いてくる
たとえ比べていないとしても、だ
だから自分にとって大切な人をほんとうの意味で大切に
唯一のものとして
比較せずに扱わないと
いけないのだと思う
しかしそうは言っても、暗黙のうちに比較しているのだし、
無意識の働き、防衛機制の話、認知療法で言う自動思考の話など
すべて意識でコントロールできない話だ
あなたが生きてきた人生の大切な人はどんな人だったのか
それを無意識のテンプレートのままにしていないで
意識的にきちんと分析してみよう
そして新しいテンプレートをつくろう
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たとえば点が10個くらい、それをつないでご覧と言われて
キティにする人もあれば軍艦にする人もある
認知療法で目指すのは
違うつなぎ方もありますよねということだ
必要に応じてキティにすることも軍艦にすることもできる
そういう柔軟性を身につけようということ
そして
考えてみれば
単に点を結んで絵にしているのだから
どうにでもなるのだと
発見すること
何度やってもどうやっても
軍艦になってしまう人も
治療できます