お客様は神様です教 看護協会の「看護の日」ポスターは毎年いい具合にほんのりとムカつくのだが、半年も経ちほとぼりも冷めたかと思い、こそっと言ってみるw 安請け合いすんなYO! 「医療はサービス業」だとかで、病院でも元CAとかの外部講師を招いて接遇マナーの勉強会なんかやってたりしてるところもある、うちでもやってたみたいだけどね。(今は非常勤だからそういう勉強会の類はよほどのことがない限り出ない)サービス業である、というのに異論を唱えるつもりはない。しかしその提供するサービスはあくまで治療や療養を必要とする人

お客様は神様です教

 
看護協会の「看護の日」ポスターは毎年いい具合にほんのりとムカつくのだが、半年も経ちほとぼりも冷めたかと思い、こそっと言ってみるw安請け合いすんなYO!「医療はサービス業」だとかで、病院でも元CAとかの外部講師を招いて接遇マナーの勉強会なんかやってたりしてるところもある、うちでもやってたみたいだけどね。(今は非常勤だからそういう勉強会の類はよほどのことがない限り出ない)サービス業である、というのに異論を唱えるつもりはない。しかしその提供するサービスはあくまで治療や療養を必要とする人に、そこで選択できる科学的根拠に基づいた現時点で最良最善とされる「医療」を、正確に提供することが第一であって、決してエアラインやホテルで提供されるような接客サービスのことではないと思う。だからといってそういう接遇マナーの講習がまったく無意味かというとそうでもなくて、まあ人間が二人以上顔を合わせるときに必要な、お互い不快にならない(あるいは後で言いがかりをつけられても「常識の範囲内で無礼ではなかった」と周囲が証明してくれるような)ものの言い方や動きぐらいは知っとくべきなんじゃない?ぐらいには考えている。これは別に医療とかサービス業の現場だから特に必要なものではなく、ごく普通の生活の人間関係の中でも当たり前に必要なものだとは思うんだけど。

ましてやこの「折れそうな心を支える」というのも、こういったことはそれなりに人間関係ができている間柄であってこそ成り立つものであって、いきなりやれと言われて誰彼なくすぐにやれるかというと、普通「そりゃちょっと待ってくれよベイベー」ってなもんである。とりあえず我々(疾患による)「普通じゃない」状態の人を相手にするのには慣れているので多少の耐性はある、とはいえそれはあくまで対患者のこと。そして第一に提供すべきは「医療」なわけで、こういった「折れそうな心を支える」というのはそれに付随する二次的なサービスというか第一サービスをきちんと行った上で生まれる「成果」のひとつであって、これだけを単体でどんどん皆さんに提供しますよー、というものではない。実際この「折れそうな心まで支えてみせる」のコピーの下に書かれている文章は「患者さんとの日々の関わりから『看護』を提供するんですよ」という説明だし。

はっきり言えば、実際に自分の目の前にいる「患者」でもない人にまで、そういう「サービス」を要求されるいわれなんざこれっぽっちもない、ってことですわ。

てなことを言っていると必ず「こんなのに看護師の資格なんかない」とか「例えに死にそうになっていてもこの人にだけは看護してもらいたくないと思った」とかドヤ顔で言い出すのが出てくるんだけどさw残念だけど資格はあなたが認可して出すもんじゃないし、わたしの「患者」でもない人にそんなこと言われてもねえwwwだから何?みたいな。

こういうことを言い出す人は「看護師」に何を求めているんだろうね?たとえ何を言われようがされようが、黙ってすべて受け入れて、万人に対して全人格傾ける「いい看護師」であれ、ってこと?だとしたらそれはフーゾクのお姉ちゃんに対しての「素人の女みたいに口説いたりする面倒な段取りをすっ飛ばして誰にでもすぐやらせてくれるから楽」とか「どうせ金のためか他にできる仕事がないか、本当に好きでやってるんだから客の無理な要求ぐらいきいてくれる」って考え方と大差はない、というか根っこは一緒なんじゃないかと思う。わたしが去年はてブあたりでにょろにょろしていた人達が最初に絡んできても素無視ぶっこいていたのは、必死で取り繕っててもそういう考え方がちらほら見えてたからなんだけど。確かに他人から認められてくて必要とされてる自分を自覚したくて「本当に好きでやってる」人はいるみたいだから、そういう人に看てもらえばいいんじゃない?ただそういう人は「患者」の方なんて見てないけどね、自分の都合が悪くなったらすぐ放り出して逃げるよw

でもってまたこれもドヤ顔で「転職すればいいじゃないですか」とか言うのもいるしwそういう人達の期待する「転職」ってのもまたどういうのかよくわかるし。基本的にはやはりフーゾク嬢に対して思う「他にできる仕事がない(だから顧客の思うとおりにして続けていくしかない)」っていうのを期待されてるんだろうしねえ。そうだそうだ、転職といえば先日電話してきた20年来の友人の因業医者は何の用事だったかというと、わたしに転職の話を持ってきたわけで。彼の病院で新たに立ち上げている海外提携業務を手伝いに来いという話。

「お前が病院で『頼りになるいい看護師さん』をそつなくどころか相当見事にこなして見せてるんやろな、ってのは想像つくよ。でもお前にはそういうことだけをして終わってもらいたくないんや。お前に何ができて何ができへんのか、何がしたくて何をしたくないのかは20年見てきてよくわかってるつもりや、だから俺んとこ来い。一度見に来るだけでもいいから、もうその部門のボスにはお前のことは話してある」と言う。

実のところこれは、わたしが今までやってきた海外医療支援活動とはどこかしら繋がりつつも全く対極にあるような仕事で、うーんどうなんだろ?相反するけど共存はできなくもない、という。本当に最近思うんだけどさ、こういう話が見計らったようにポン、と飛び込んでくる自分の運の強さを信じてみるかな。

もひとつわたしがゲンナリして
いるのは、こういう感情労働を要求するのが当然だと思ってる人って、何かをすっ飛ばしていきなり来るんですよ。たとえばこういう「心を支える」にも、それなりに人間関係ができている上でのことと書いているように、普通に人間関係を作るのに誰に対しても必要な姿勢とかあるんですけど、こと我々にはそういう労力を払う必要なんかないと思ってるのか・・・まあそれがフーゾク嬢に対する態度と全く一緒なんじゃね?と思うんですけどね。申し訳ないけど、当たり前の人間関係を作る気もなく心だけ支えてもらおうなんてムシがよすぎますよ、看護ってオーランドやオレムが言ってるように人間関係のプロセスなんですから。

まあわたしも「この人が精神科勤務じゃなくてほっとしてます」って安幇間みたいなオッサンに言われてましたけどwそいつが我々の仕事をどの程度に見てるかがよくわかりましたわww