坂本氏の「20年近くも前のことですし、もうしゃべっちゃってもいいでしょう」という軽妙な誘い文句に乗せられて、斉藤氏の口から飛び出してきたのは「秀丸シリーズのシェアウエア売り上げは、ピーク時には年1億円を超えていた」という衝撃の言葉だった。これには記者はもちろん会場にいた全員が仰天して大きなどよめきが起こっていた。  斉藤氏によれば、秀丸シリーズのシェアウエアによる売り上げは初年度は800万円ほどだったが、翌年以降売り上げがどんどん増加。ピークとなる1996年~98年当時には何と「最高で1億5000万円

 坂本氏の「20年近くも前のことですし、もうしゃべっちゃってもいいでしょう」という軽妙な誘い文句に乗せられて、斉藤氏の口から飛び出してきたのは「秀丸シリーズのシェアウエア売り上げは、ピーク時には年1億円を超えていた」という衝撃の言葉だった。これには記者はもちろん会場にいた全員が仰天して大きなどよめきが起こっていた。
 斉藤氏によれば、秀丸シリーズのシェアウエアによる売り上げは初年度は800万円ほどだったが、翌年以降売り上げがどんどん増加。ピークとなる1996年~98年当時には何と「最高で1億5000万円くらい」(同氏)と1億円を軽く超える売り上げがあったという。当時、斉藤氏は富士通の一社員だったが、さすがにシェアウエアでこれほど稼いでしまうと会社に在籍し続けるわけにはいかず、やむなく退社することになったという。
 そんな斉藤氏だが、今はほとんどプログラミングの仕事はしておらず(秀丸シリーズのサポートなどは続けている)、畑仕事に精を出す毎日を送っているという。斉藤氏は「少しは最近のプログラミングにも手を出してみようかと、iPod touchやAndroid端末を買ってSDKを入れたりしてみたが、もうとてもついていけない」と挫折したことなどを明かす。また、「スマホ(の小さい画面)を3分間見ていると肩が痛くなる」などと発言して会場を笑いの渦に巻き込んでいた。