“ たとえば、自分のビジネスを大きくして、将来大金持ちになり、それで家族を楽にしてやろう、そのためにいまは家族との時間を犠牲にしても頑張る、というならまだわかる。しかし、そういうビジョンもなく、一生サラリーマンとして安月給に甘んじながら労働時間だけ長いというのは、本人たちには気の毒だが、滑稽としかいいようがない。 アメリカや中国でも、ものすごく長時間働いている人たちはいるが、彼らは同時に猛烈に稼いでいる。サービス残業なんていうカネにもならない長時間労働をやっているのは日本人しかない。アメリカ人や中国人に

たとえば、自分のビジネスを大きくして、将来大金持ちになり、それで家族を楽にしてやろう、そのためにいまは家族との時間を犠牲にしても頑張る、というならまだわかる。しかし、そういうビジョンもなく、一生サラリーマンとして安月給に甘んじながら労働時間だけ長いというのは、本人たちには気の毒だが、滑稽としかいいようがない。
アメリカや中国でも、ものすごく長時間働いている人たちはいるが、彼らは同時に猛烈に稼いでいる。サービス残業なんていうカネにもならない長時間労働をやっているのは日本人しかない。アメリカ人や中国人には理解不可能だろう。
私は、企業の経営者にも労働者にも「いましていることの目的は何か?」「カネを稼ぐための最適な手段はなにか?」と問う合理性が不足していることが、いまの日本経済の苦境の根本的な原因だと思えてならない。

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そう思うならアメリカとか中国で働けばいいんだけど、そうもできないでしょう。

やはりお金のために合理的に働こうというよりは、みんなと同じように行きたいと思っているのだろう

お金がたくさんあっても、やはりみんなと同じように通勤して、残業して、プロジェクトを成し遂げて、そんなふうに生きてみたいのだろう

お金がある家でも、お金を自由にできるのは親であって、子どもたちは案外厳しく育てられている
その場面で、合理的にお金だけあればいいと考えれば、もう働かなくていいということになるのだが、
労働の中にはもっといろいろな要素が含まれている
働かないで、生きてなにか楽しいの? というような人生観である
そのような回路が、他者や社会へのコミットの仕方として一番自然な回路なのだろう
それは日本でもアメリカでも共通のものだと思う