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「歳月がたってみると、実は教えそのものが漠として着手の処を認めしめないのではなくて、自分がある程度に達していなかったそのために、着手の処を見出し得なかったのだと悟るのである」
これなんぞは身に沁みる言葉ですね、振り返ってみてよくあることだと思います。
結局、受け皿がしっかりしていなければ、入れるべきものは容れられないわけですよ。
受け皿、入れるというと、受動的ですが、自分の眼が暗がりの中の入り口を見つけられるほど明るさを持っていなかった、と言い換えれば、この具合の比喩となるでしょう。
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