“ 学生時代、仲の良かった4人で6畳一間の安下宿で夢を語り合いました。 あんな大人にはなりたくない。 毎日満員電車で通勤し、小さな家を買って、小さな車に乗り、休日には家族で出かける。 こういう「小さな幸せ」を僕たちは嫌悪した。 4人とも上場企業に就職したけれど、1人は10年ほど前に会社が倒産し、その後音信不通。 1人は15年前に独立し、一時期稼ぎまくって、この世の春を謳歌したけれど、5年前に自己破産。それから何をやってもうまくいかず、先月「借金取りから逃げるために、しばらく海外に飛ぶ」という連絡が入りま

学生時代、仲の良かった4人で6畳一間の安下宿で夢を語り合いました。
あんな大人にはなりたくない。
毎日満員電車で通勤し、小さな家を買って、小さな車に乗り、休日には家族で出かける。
こういう「小さな幸せ」を僕たちは嫌悪した。
4人とも上場企業に就職したけれど、1人は10年ほど前に会社が倒産し、その後音信不通。
1人は15年前に独立し、一時期稼ぎまくって、この世の春を謳歌したけれど、5年前に自己破産。それから何をやってもうまくいかず、先月「借金取りから逃げるために、しばらく海外に飛ぶ」という連絡が入りました。
1人は独立するタイミングをつかめぬまま、現在も同じ会社で働き、安月給と嘆きながらも、それなりに安定した生活をしている。
そして僕は父の会社を継いだものの売り上げは父の代の3分の1にまで減少し、それでも青息吐息で続けています。
若いころ僕たちが嫌悪した「小さな幸せ」を得ることがいかに難しいか「小さな幸せ」がいかに尊いかということを実感しています。
大学生と話す機会がたまにあります。
夢を語る彼らに対し「現実はなかなか厳しいよ」と話す僕は、彼らから見ると「こんな大人にはなりたくない」、まさに僕自身が嫌悪した大人になっているのだと思います。
これを様々な経験を積んできた結果の「成長」と呼ぶのか、あるいは夢破れた結果の「敗者」であるのか。
僕自身わかりません。