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もう一つの場所は、教会。ビジネスの勝負で負けて、全財産を失ってしまったときには、地域コミュニティにある教会に駆け込むことができる。
渡邉:教会は何をしてくれるんですか?
藤原:とりあえずボランティアで手伝いをすれば食える。
渡邉:飯を食わしてくれるんですか?
藤原:そう。教会では、ホームレスに炊き出しをやっているから。極端な言い方をすれば、負け犬が傷を癒す場としての教会がある。そして、その教会に対して、ビジネスに成功した勝ち組の人が、巨万の富を寄付する。そういう、お金の流れが構造としてあるわけですよ。
たとえば、ラスベガスですごく羽振りの良かった人が、ギャンブルで負けて破産してしまった後に、裏町の教会から人生をやり直して、また成功する――そんな話が本に出ているくらい。アメリカでは、そういうバカなことも起きますよね。でも、日本ではないんだよね、人生の“踊り場”が。
渡邉:だから自殺してしまうんですかね。
藤原:そう。その質問は日本ではタブーになっちゃってるけど、的をついていると思う。キリスト教圏だけでなくイスラム圏でも本来教会が果たしている機能が日本では甘いことが、自殺を増やしている。西洋社会では、負けたときには宗教があり、勝ち組の踏み台としては大学があるんだけど、日本にはそれがないから、自分で作らないといけないわけです。
この2つの受け皿が本当は社会に必要で、それをどこにどう作るかを、日本はもうちょっとまじめに考えないといけない。しかし、そういう社会システム論のような考え方が、今の政党にはまったくないですね。しかも、この問題は省庁を超える。厚生労働省も文部科学省も警察庁も総務省もすべて絡む話ですよね。
こういう受け皿がないと、今登っている一本線の道が閉ざされたとき、「死ぬしかない」となってしまう。
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