境界線を決める作業

病気なのか性格なのか普通なのか
医学的に決定することが期待される場合がある

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たとえばうつ病やうつ状態の場合
精神分析的には喪失反応の延長と考えて正常喪失反応の場合もあるし
それが遷延したり神経症的になったりすることもある
一方で生物学的に内因性うつ病と呼んでいたもののように
正常状態との隔絶を前提としていることもある

正常状態と連続しているのか、断絶しているのかは、
この場合は概念的なもので、
実際に、何かの科学的な方法で決められるものではない

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アスペルガータイプの障害にしても
どこで境界線を引くかは確定していない

確定していないながらも、実際的にはおおよそこのあたりという感覚はあって
それで充分な場合が多い

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たとえば国境線を決めるという場合、なにか科学的な根拠によって決めるというのは話が違う
山とか川とかで隔てられていれば少しは話しが簡単になるが、どちらにしても科学ではない

海に浮かぶ島の場合
島の輪郭がどうであるかは決めやすい
しかしその島がどの国に属するかは科学としては決めようがない

海底をたどってゆけば全ては連続していて
海の水位によって島の輪郭が決まるだけだ
海底資源の帰属の問題などでもめることになる

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たとえば高齢者の定義も境界線をひくという作業であるが
科学的に決定されるものではない

しかしどの人が高齢者であるか、全く決めようがないという話でもない
おおかたは決められる
あいまいなゾーンは存在するし例外もある

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物忘れについても正常の物忘れなのか、アルツハイマー病なのか問題になることがある

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高齢者になると性格は少々変化する場合があるが
病気のせいで性格変化が起こる場合もあり
その鑑別も問題になることがある

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野球でデッドボールを当てられて
痛みが引かない場合に骨折なのか打撲なのか調べることもある

たいていは判別できるが、非常に微細なひびが入っているということまで考えると
簡単とはいえない
しかし求められているのはそのような屁理屈ではなく
とりあえず試合を休んで固定したほうが良いのか
それとも炎症に対処しておけばよいのかの判断である
ときには骨折なのに次の試合に出る人もいて話題になる

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朝青龍の問題の時に病気かどうかが問題になったと記憶している

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何を調べてどういう結果が出たら、科学として結論が出るという状態を
目指していることは間違いがない
ただその途中というだけである

骨折なのか打撲なのか微細に考えると連続的になるのだが
それは言葉の定義の問題であって、科学的に記述する方法は別にあるので困難はない

問題を科学的に精密に記述する方法が発見されていない場合
それが原因で曖昧になるのか
あるいは言葉の定義の問題、つまり国境線とか高齢者とかの場合のようなことなのか
その区別も曖昧になるので気をつけないといけない