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「やさしい言い方」でも人を追いつめることがある、ということだ。
「追いつめる言い方」というと、一般的には、強い口調で叱ったり、相手の人格を否定したり、恫喝(どうかつ)したり、ということを思い浮かべるかもしれない。しかし実際は、必ずしもそうした言い方で人は追いつめられはしない。むしろ「やさしい言い方」が、真綿で首をしめるように相手を追いつめることが少なくないということを知っておいてほしい。
恫喝というのはわかりやすい。だから逃げることができる。たとえば上司に「なんで俺の言うことがわからないんだ!」「どうして言うとおりできないんだ!」などと怒鳴られたときは、その場で謝ったり、「体調が悪いので」と言って一日休むことで逃げられる。 難しいのは、「あなたのためにやっているんだ」という、やさしい言い方によって追いつめられる場合だ。これには逃げ場がない。
恫喝・命令・強制・脅迫・教唆扇動(きょうさせんどう)、といったような追いつめ方は、言っている側に「追いつめるために言っている」もしくは「追いつめることになるだろう」という自覚がある。追いつめられる側も「追いつめられている」という自覚がある。つまり、追いつめる側も追いつめられる側も構図が見えている分、対応しやすいのだ。 一方、「あなたのために言っている」「あなたのことは理解しているけれど」という追いつめ方はどうだろうか。追いつめる側は、「追いつめている」という自覚がない。相手のために言っているのだと思い込んでいる。そして、言われる側は、 「私のために言ってくれているのだから、本来ならば感謝しなければならない。それなのに、なぜ不快だったり苦しかったりするのだろうか。それは、私が未熟だからだろうか」 などと考え、追いつめられていくケースが少なくない。
ここで申し上げたいのは、明らかに追いつめるような言い方よりも、やさしい言い方のほうに問題が潜んでいる場合があるということ。その言い方が相手をとことん追いつめる結果を招くことが往々にしてあるということだ。
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