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「全員一致」でしかものごとを決められないムラ社会では、責任も全員に分散されますから(一億総懺悔)、原理的に責任をとることができないのです。
ところがこのような「無責任社会」で、たまたまある特定の人物が責任を問われると、家族や関係者までもが無限責任を負わされることになります。
このことに最初に気づいたのは政治学者の丸山真男で、大正12年に起きた皇太子(後の昭和天皇)狙撃事件後に、内閣が総辞職し、警視総監から警護にあたった末端の警官までが懲戒免官となったばかりか、狙撃犯の郷里が全村をあげて「喪」に服し、彼が卒業した小学校の校長や担任の教師が辞職した例をあげています。
権限と責任が分離すると責任の範囲があいまいになり、いったん「有罪」を宣告されると責任が無限に拡散していきます。このような社会ではだれもが責任を避けるようになりますから、全員の総意によって、だれも責任をとらなくていい“やさしい社会”が生まれたのです。
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