ガーランド C. 著
目次●
第Ⅰ部 概 論
序 章 なぜ精神分析なのか?
第1章 トラウマを考える
第2章 人間による過誤
第Ⅱ部 アセスメントとコンサルテーション
第3章 心的外傷後の状態の精神力動的アセスメント
第4章 予備的介入:4回からなる治療的コンサルテーション
第Ⅲ部 精神分析的心理療法による治療
第5章 トラウマと憤懣
第6章 トラウマを蒙った患者の心の仕事
第7章 治療上の問題:レイプの事例
第8章 外傷的な死別後にみた夢:喪の哀悼かその回避か
第9章 トラウマにおける同一化過程
第Ⅳ部 精神分析
第10章 発達上の損傷:内的世界への影響
第11章 外的損傷と内的世界
第Ⅴ部 グループ
第12章 トラウマを蒙ったグループ
第13章 トラウマ後の状態における行為,同一化,思考
監訳者まえがきより●
あらためて述べるまでもないが,本書にはクライン派を中心とする英国対象関係論に基づいたトラウマの理解と臨床アプローチが著わされている。ここにはアセスメント,コンサルテーション,分析的心理療法,精神分析,集団療法と,見立てから治療までが包括されている。これらがタヴィストック・クリニックのトラウマ・ユニットでの臨床実践の蓄積に基づいて著わされているのだから,実行されているものという強い説得力がそこにある。そして当然ながら,英国精神分析の伝統に則った臨床ケースの豊富な提示が,私たち自身の臨床に沿った理解を推進する。
トラウマについては安易な見解が出されすぎたため,解離やパニック,反復想起,自傷等が訴えの中に認められるとただちに,原因はトラウマで診断はPTSDという短絡的に決め込まれる恐ろしい風潮さえ出現している。またこうした風潮を煽る論文や書物もいまだ出てくる。しかしながら,トラウマとこころへのその影響を真に知るには,臨床場面で遭遇する一例一例に丹念にかかわっていくこと以外はありえない。そうした丹念な臨床実践を重ねたその成果が本書である。
私たちが臨床家であるなら,本や論文を机上に読むことからは私たちは学べない。学びは臨床現場にしかない。ただそれでも,書物は私たちの理解を整理補足し,ときに修正し新たな視点を提供することがある。この役割さえ果たせない書籍も多いが,本書はその役割を確実に果たすものである。
原著の初版は1998年に出版されたが,2002年の増補改訂版に本書は基づいている。本書の翻訳は,田中健夫と梅本園乃というふたりの心理臨床家によって達成された。ふたりとも精神分析を真摯に学び,日々の臨床に実践してきている臨床家である。そうした臨床実践を通して本書の諸見解を照合し再考しながらの地道な翻訳作業であったが,それが成就され,ここに読者に提供された。
現代社会は,こころの臨床家にその貢献を過剰なまでに要求しているように私には思える。そこには,こころの病理とそれにかかわる臨床が社会に認められたという文化的達成があるのは間違いない。しかしそうであるがゆえに私たちは,その要求に万能的に,もしくは問題解決希求に表層的に応えるのではなく,限界はあるが実体のある応答を積み重ねるべきであると私は考える。なぜなら,いつの時代も人々はその時代の特質や達成を大げさに評価したいのであるから,私たちこそが足を地に着けておかねばならない。そうでないなら,患者やクライエントはふたたび不幸になってしまう。この意味においても,本書は臨床家としての私たちの堅実な在り方を確かに支えてくれる。