父親のいない風景

日本の家族像を見ていると
母親が二人いて子供がいるように見えてしまう

法や正義や罪や罰ではなく
世間体とか恥とかが一番気にしている項目

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、そのた諸宗教のある社会に比較すると
比較的抑圧のない社会
あるとしても現世だけ
(まあ、宗教勢力のあからさまに宗教的な言論がない分だけいいようなものではあるが)

ある先輩の観察によれば
日本という国が母親に相当する
父親はあるときはアメリカであるときは唐であった
本質的に優秀な人材は請われてアメリカや唐に渡ってしまう
それを本人も出世だと思い幸せだと思う
日本はその人の留守番をしているようなものだ

大リーグなどでもそれが言える
日本プロ野球から大リーグ入りすれば出世だし
いつでも帰って来られるし
二軍扱いで特に反発も感じない様子だ
アメリカは父の社会で、日本は母の家といった趣がある

もちろん、戦争で負けたということはそういうことだ
(しかし正確な話、アメリカに負けたのであって、中国や韓国に負けたのではないので、
アメリカ以外の国が、日本は母の国だと思って攻撃すると、それに対しては父親として振る舞えばいいのに、
なぜか母親じみた政治家がimmatureな言論を弄するに至ってしまう。
父親的余裕と知性を備えた思考がないものか。)

無理に開国を迫られた
戦争で負けた
原爆を落とされた

力で陵辱された結果としての家族だというのである

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まあ、酒飲み話でしかないけれど、
いずれにしても、元気の出ない話ではある

父親のいない家庭を運営して、息子が勤勉なうちは良かったのだが
裕福になるに連れて、世の習いのとおり、息子は怠け者になり、遊び人になる
それはもう法則だからしかたがないのだけれども
そして、裕福だけれども、なお節制に努めるというのは
ロムニー氏のように宗教の力だろうけれども、
それにしてもつらい気持ちになってしまう

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何かといえば
国にきちんとしてほしい
国にお願いしたい
国の指導を強めてほしい
国ならいい考えもあるはずだ
ドラえもんのポッケのように思っているのだろう
テレビカメラがそのように言わせているのも事実であるが