うつ病についての進化論的解釈-2

うつ病
投資が回収できないなら、もっと投資してみようというのがうつ病である。人生最初期、子供時代に、養育者を剥奪されたり不適切な養育があったりすると、投資と報酬の基本が学べないままになってしまう。慢性ストレスに対してどう対処していいか、成功体験がないので、体得できない。のちの人生での急性ストレスに対しても、どう対処していいのか分からない。どこまで投資したら報酬が望めて、どの程度以上の投資をしたらもうこれから先は何も望めない、などの判断ができなくなる。ただ闇雲に投資する。 こうした対人関係パターンがうつ病に特有の対人関係場面での性格を形成する。まじめ、誠実、几帳面、その他いろいろ言われるのだが、要するに現実の報酬を期待できないのに投資して、後で恨むというパターンになる。 このことについてはセロトニントランスポーター遺伝子部分でのストレス脆弱性が指摘されている。養育者との安定した愛着関係が、こうした、人生における投資と報酬の基本体験となる。いい子にしていれば報われるという体験が核になる。養育者または支配者の期待に応えていれば報酬がある、そのために行動するという回路が形成される。(儒教倫理的)  投資と報酬の確実なパターンを愛と呼んでもいいのだが、無償の愛とか神の愛とか言われるように、投資を伴わない、極限的な、報酬のみの愛というものが概念化されている。その場合の養育者も極限的な意味のものになる。(東洋的に言えば世俗の王) 従って、宗教の一面として、支配と服従、階級制社会の延長に超越者の概念が、最初はあったものだろう。投資が過剰になっていて報酬が少ないことにいらだっている状況なので、批判や不公平に対しては敏感になっている。支配者の欲望や意図に過剰に反応する面がある。 競争で敗者になり社会階層が低下すると脳のセロトニンレベルが低下するという研究がある。セロトニンレベルが元々低いから敗北者でも安定するのかどうかは分からない。しかしその場合、セロトニンレベルをあげて、やる気を出して再度チャレンジしたところで、成功者の椅子の数は決まっているのだから、誰かはうつ病に指定されることになるのだろうと思われる。たとえて言えば、高校野球の甲子園球児たちは一チームを残して全員が負けるのである。やる気を出したところで、果てしもなく先があり、必ず負ける。負けたところで人生の上昇は頓挫して、敗北感の中で一生を終わる。 人生早期の不適切なストレスがセロトニンシステムを破壊する可能性はある。セロトニンレベルが低くなり、セロトニンに過敏になる。セロトニン再取り込み阻害薬は自殺の危険を増大させるが、それは敵意といらいらが強いくなることの結果だろう。
ペットロスの事例などがある。ペットを失うことは支配者に服従することとは重ならないと思うのだが、考え方によっては、服従者を失うという意味で、自分の支配者としての位置を失うと言うことなのかもしれない。もちろん、ペットに対して支配者と考えている人は少ないとは思うのでこの考察は当たらない場合が多いだろうと思う。 自分の心理を構造化している基盤というか前提が崩れるというか、そんな感じなのかもしれない。心理の布置が再構成されるまで数ヶ月を要する。
典型的な躁うつ病のうつ症状として
一人にしないでくれと妻に懇願する夫
無力な子供のような仕草と妻は言う 躁病
躁病はうつ病と逆の事態であるが、混合状態というものがあり、昔からどう解釈してよいか議論されてきた。(だから、逆という言い方が、根本的に間違っているのである。)  社会は数多くの人間で構成されているので、社会階級を考えるときにも、ひとりの人間は敗北者であり同時に支配者であるという構図になっている。たとえて言えば、中間管理職である。その場合は、躁病とうつ病が同居することになるだろう。
躁病は支配者の側面が極端に出ているもので、競争を好む。特に異性と性的な交流を好む。英雄色を好むと言うが、躁病の人は競争を好み、しばしば支配者となり、同時に躁病の故に好色なのだろう。魅力的な異性がいるとして、自分はそれにふさわしいと当然のように考えるのが躁病の人たちである。アイコンタクトが増加し表情は豊かで、体を使ったメッセージも増える。支配者であることを示す態度をとる。躁病患者は治療者に要求も多いし挑戦的になることも多い。彼らは勝つか負けるかで人生を測定している。  うつ病の場合は理由のない自信喪失だが、躁病の場合には理由のない自信過剰なので周囲は困り果てる。たいていは現実把握のずれが指摘できるので、それは精神病の一種として分類されることになる。過剰な自信だけが抽象的にあるのではなくて、事実関係を歪めてしまうところにまず大きな問題がある。しかしこれは他人とあまり関わらない生活をしている限りは、他人には関係ないと言えば関係なのである。内心でどんな自信を抱いていようが問題はない。しかしなぜかその自信を外側に持ち出して周囲を困らせるのである。 このあたりは単に気分の問題ではないところがあるのだろうと考えられる。気分障害がプライマリーなのかと言えば、それはどうかという気もする。むしろ、認知の問題なのである。 気分の変動があるので現実把握が歪んでしまうのか、現実認識が歪んでいるので気分が変動するのか、両方の可能性がある。躁病者はリスクを認知しない。ハイリスク戦略をとることが多い。競争に挑むので成功することもあるが全てを失うこともある。躁病者は投資したものよりも多くの報酬を常に要求している。社会の中での自分の価値や立場を過大評価している。たいていは病識がない。 躁病者は投資したものよりも多くの報酬を常に要求している。一種の賭博者である。 そのことを考えると、うつ病者は投資したものの報酬のなかで「未回収の報酬」に常にこだわっている。   軽躁状態であれば現実認識も大きなずれはなく、しかも気分は上がり、周囲に対しても自分に対してもやや過大な評価を与えるのでそれ自体は自分と周囲を幸せにすることがある。周囲の人間に自信と幸福を与えることがある。現実把握が不正確である故に少し幸せと言えばいいのだろうか。
混合状態は脳の三層構造と関係していて、行動、気分、認知の三種が爬虫類の脳、哺乳類の脳、人類の脳の3つで不一致になっていると考える説が紹介されている。それぞれが関係してはいるが、基本的に独立して動いているとするものである。3つというのはよくある話でたとえばドパミンとノルアドレナリンとセロトニンでも話はまとまるだろう。独立しているはずはないのであって、連携の仕方がうまくいっていないということなのだろう。 ばらばらに動いているということは、シゾフレニーに近いのであるが。  retarded maniaというものがある。哺乳類脳は躁病で爬虫類脳がうつ病のものである。mixed state のひとつである。
thought-impoverished maniaという類型もある。競争心は強く、気分は上がり、思考は抑制されている。
単極性うつ病のほうが双極性障害や混合状態よりは研究が進んでいる。
双極性障害や混合状態のほうが遺伝的要因が強く、心理的には不安定だろう。環境により影響される度合いも少ない。
女性は男性の二倍、うつ病になりやすい。なぜか 子育ての事情もあり、女性の方が周囲を頼りにする。服従理論で言えば、競争の前面にさらされ、直接の選択にさらされる男性の方にうつ病は起こりやすいはずだろう。男性が社会的地位を失うことは女性よりもダメージが大きい。社会的地位は子孫を残せるかどうかに直接関わる。 私見では女性は結局家庭の中でうつになる。男性が会社でうつになるのとは違う。そしてどちらかと言えば、会社や学校はうつのストッパーとして働いている。家庭ではストッパーがない。  家庭という環境は投資と報酬のはっきりしない場面である。報われないと感じても仕方がない。報われるべきだと妄想する場合も多い。社会があれば妄想の訂正に役立つが、家庭は社会ではないので、訂正の機会がない。  うつ病は全世界的に増加しつつある。職場でも配偶者選択でも世界規模になってくると競争もきつくなって、うつ病が発生しやすくなる。いつでも競争に勝てるようにして、魅力的にしておく必要がある。さらに西欧諸国では助け合いよりも個人主義が隆盛で、社会的援助が受けにくい。国家による援助ではお金が払われるけれども、直接の優しさや安らぎはない。
高齢化するとうつ病は起こりやすくなる。血縁からの援助が得られなくなるからだろう。人間の心の進化を社会構造の変化が追い越してしまっている。

2012-08-14 01:10