防衛庁長官や自民党副総裁などを歴任。今なお政界に影響力を持つ重鎮・山崎拓氏(79)は、議員生活35年間のすべてを手帳に克明に残していた。毎日どこで誰と会って、何を話したか。それは日本の近現代政治史の生々しい記録でもある。この備忘録をまとめた「YKK秘録」が発売され、話題を呼んでいる。永田町の表も裏も知り尽くした政治家が、過去の知られざる事実、そして現政権への苦言まで縦横無尽に語る。
――山崎拓(Y)、加藤紘一(K)、小泉純一郎(K)の「YKK」は90年代から2000年代にかけての日本政治の主役でしたが、誕生のきっかけは意外とあっさりしていたのですね。
3人とも72年に初当選した同期で、なぜか加藤とは最初からウマが合った。小泉とは、第33回総選挙初当選36人の「さんさん会」という同期会で顔を合わせる程度の間柄でした。90年の大晦日、福岡の自宅で紅白歌合戦を見ていたら、加藤から電話があって「政界の同志づくりをしたい」と言う。私が所属する政科研(中曽根派)と、加藤の宏池会のほか、清和会から1人選んで3派で「反経世会」グループをつくろうという提案でした。
――それで、小泉氏に声をかけた。
同年代が小泉しかいなかったんですよ。本会議場で加藤と席を並べていた時、「小泉はエキセントリックな男だから話が合わないよ」と私が言うと、加藤が「本人に聞いてくる」と。それで「君はエキセントリックなのか」と聞いたら、小泉は「そうだよ、オレはエキセントリックだ」と答えたそうです。面白い男だと加藤も気に入った。それで仲間にしたんです。
――盟友YKKの立場が割れた「加藤の乱」のくだりは読み応えがありました。野党が提出した森内閣への不信任決議案に賛成するかどうかで、何度も議事堂へ行きつ戻りつしていたのですね。
あの時、あくまで加藤との友情を全うするために付き合った。派閥の仲間は「一緒に討ち死にする」と言ってくれたが、道連れにするわけにいかず、「アンタと俺だけで本会議に出席しよう。それで党を割ろう」と、加藤とハイヤーに乗り込んだ。ところが国会議事堂に着いた途端、加藤が弱気になって「やっぱり戻ろう」と言い出した。戻る途中、矢野絢也(元公明党委員長)から電話があって「何やってんだ、早く行け! 行かないと政治生命を失うぞ」と言われ、再びその気になって議事堂に向かうのですが、また加藤の心が折れてしまった。すっかり脱力してホテルオークラに戻り、ソファで横になっていると、加藤がまた「拓さん、行こう」と。さすがに「三度目の正直というわけにもイカン」と突っぱねたのですが、ひとりで出ていった加藤は案の定、すぐ戻ってきた。あの時、本会議場に行っていれば、日本の政治史は確実に変わっていました。
■「YKKは友情と打算の二重奏」の意味とは
――何が岐路になるか分からない。政治は「一寸先は闇」というのは本当です。
その点、小泉はドライで、YKKの友情より森派会長として勝者の側に立つことを選んだ。それが後に首相に上りつめるきっかけになった。夏目漱石が言った「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」を地で行く3人でしたね。智の加藤、情の山崎、意地の小泉という三様です。
――YKKの中で早くから首相候補と目されていた加藤氏と山崎氏は首相になれず、異端の小泉氏だけが首相になった。加藤の乱の失敗が、小泉政権を生んだと分析していますね。
加藤の乱の失敗直後、恒例の私の誕生パーティーがありました。そこに、呼んでもいないのに突然、小泉が乗り込んできた。そして、マイクを片手に「YKKは友情と打算の二重奏だ」「この場には友情ではなく打算で来た」と言ったのです。参加者はみなあっけに取られていましたが、私は小泉の言葉の意味を理解した。「あんたらは失敗した。次はオレの勝負を応援しろ」ということですよ。加藤の乱で、宏池会はかなり切り崩されたけれど、山崎派は最後まで一糸乱れなかった。そこを小泉は見ていたと思います。
――その小泉元首相は、14年の都知事選で細川元首相とタッグを組んで「脱原発」を訴えました。
小泉とは今もたまに飲みますが、信念の男ですからね、本気で脱原発を訴えれば、後継者の安倍首相が応えてくれると思ったのでしょう。すげなくされて面白くないと思います。そういえば、この本を出した直後に細川からも電話がかかってきました。「懐かしかった」と言っていましたね。実は、69年の総選挙に初出馬して落選した細川は、浪人中しばらく福岡のわが家に寝泊まりしていた時期があるんです。その2人が晩年、タッグを組むことになるとは思いもしなかった。因縁を感じますね。
「今は政治家もサラリーマン化している」
――因縁でいえば、細川氏、小泉氏の薫陶を受けた小池百合子氏が都知事に就任しました。
今回の都知事選は彼女の作戦勝ちでしたが、大変なのはこれからですよ。議会運営だけでなく、政権との距離感を間違えると有権者の支持を失いかねません。
――現政権は、よく小泉政権時代と比較されます。安倍首相のワンフレーズ政治や官邸主導の人事など、小泉氏の手法を真似しているといわれます。
小泉はセンスが抜群で、政局勘の鋭さも超一流です。何より、郵政民営化にしろ、経世会打倒にしろ、強い信念を持っていた。安倍首相とはかなり違いますよ。小泉は唯我独尊、安倍は官僚に支えられている。
――そうはいっても、安倍政権の支持率は高く、長期政権になっています。その理由はどこにあるのでしょうか。
何より、タイミングがよかったということに尽きます。民主党政権が失敗して、野党は四分五裂。国会内に対抗勢力がないのだから、政権運営は楽なものですよ。これが仮に岸田首相でも石破首相でも、同じように安定政権になっていたでしょう。
――党内にも有力なポスト安倍は見当たらず、首相に公然と反旗を翻すような動きもない。「YKK秘録」に記されたような熾烈な権力闘争が自民党内から消えてしまったのはなぜでしょう?
昔は井戸塀政治家なんてのもいたけれど、今は政治家もサラリーマン化しています。政治資金は党から出る。それも政党助成金という税金です。権力闘争が活力を生むのに、政治家は小物になり、政治のダイナミズムが失われてしまいました。みな上ばかり見て、ボスの意向を気にしている。猿山の猿と同じですよ。
――安倍首相に従順な人が人事でも引き立てられるといわれています。防衛庁長官の経験者から見て、内外から注目されている稲田防衛相という人事はどう思われますか。
完全なミスキャストですね。安保・防衛分野の知識と経験がないだけでなく彼女は自民党の中でもかなりの右派とされている。戦争の悲惨さを知らない世代が勇ましいことを言って、周辺国との軋轢を生んでいる現状には危うさを感じます。
■「いまは私も加藤の考えを理解できる心境」
――自民党きっての国防族と呼ばれ、01年のテロ対策特別措置法や、03年のイラク特措法の審議時は自民党幹事長として法案を成立させた立場から、昨年成立した安保法をどう見ていますか。
「積極的平和主義」という名のもとに、米国追随主義に走っている。あのタカ派の中曽根元首相でさえ「現行憲法の下では集団的自衛権は行使できない」という立場を貫いたのは、日本が法治国家だからです。安倍政権は、憲法があるのに、解釈を変えて行使を可能にするという無謀なことをした。衆参ともに安定多数を確保したので、この際「やりたかったことを全部やってしまえ」ということなのでしょうが、これを「時代の変化」の一言で見過ごしてはならないと思います。
――安倍首相は任期中に憲法改正をしたいとも言っています。
改憲は私にとってもライフワークのひとつで、9条改正が眼目と考えてきました。ただし、1項の戦争放棄は変えず、2項で自衛のための軍事力を保持することを明記するというものです。宏池会の加藤は憲法9条改正そのものに反対の立場だった。いまは私も加藤の考えを理解できる心境になっています。平和ほど尊いものはありません。
2016-08-24 01:33