自分が博士論文に使って、研究所内のセミナーのスライドに使って、更にnature一回目投稿のリジェクトされた論文に使って、これほど印象に残っているであろう3枚セットのフィギュア。それを単純間違いなんかするだろうか。200回以上も成功していたなら、写真の相当多くあるはず。1回で20枚撮影していれば4000枚。その中の写真ならばどれでも捏造でも間違いでもなかった。それらの大量の写真を通り越して、博士論文に使った懐かしい写真を掲載するとはどういうことなんだろう。
これはすごい研究だ、笹井先生もすごく頑張ってくれている。そんな中で、どうしてこんな間違いが起こるものなのか。ここは理解できない。
ーーーさらに、あちこちで指摘されているのだが、著者本人が気づいていないうちに、誰かがいち早く、Nature論文と博士論文の掲載画像の同一に気がついた。普通、すごい論文だなあと思ったとして、執筆者の博士論文を調べる人がどれだけいるものだろうか。いないと思う。そんなに暇ではないだろう。
「何かあるぞ、徹底的に調べよう、分かりやすい証拠がないだろうか」と思って、
実際に自分の業績とは成り得ない作業に時間を割いた人間がいるのだろう。それが反STAP陣営の人なのか、STAP陣営内部の人なのか、推測が言われている。そして実際に、あまりにも分かりやすい流用写真3枚組が見つかった
こうして書いていると、内部の人ではないかという気がしてくる
それだけ腹を立てる状態、我慢のならない状態があったのだろう
主張している業績の内容と、実際にやっていることとの間に段差がありすぎる。鉄棒で逆上がりはできないけれども、新々月面宙返りが出来たと言い張っているような話。新々月面宙返りがができたと自分で言っているだけで、他の誰も確認していない。でも逆上がりが出来ないことは自分も認めた。
科学のレベルの話としては、誰も再現できないことについて、特許のこともあり次回論文のこともあり、コツを全部言えるわけではないと、
予定通りの話で、当然アウト。
弁護士の発想では、財産権や特許権の話になっていて、財産的権利を守るためには、科学などどうでもいいことなのだろう
しかしこの場合、自らの財産権・特許権を明確にするためにも、きちんとした論文に訂正する必要があるのだが、
理研はもうすでに訂正の段階ではなく、取り下げを考えているのだから、
ここで争うよりも、いったん取り下げして、理研とは縁を切って、新たに論文を提出したら良いはずである。
それなのにそれをしないで、捏造とは、悪意とは、というような弁護士の発想になってしまっている。
現状でSTAP作成ができるのはユニットリーダーただ一人なので余裕を持って実験と執筆に取り組める。
データも充分にあるとのことだし。
なぜそれをしないで瑣末とも思える理研との法律的闘争なのかのかといえば、多分、もうそれしかできることがないのだろうと
大方は判定している。
ーーー私はUFOを見て、宇宙人に会ってきた。私は人魚を見た。私はネス湖のネッシーを見た。私はSTAP細胞を200回作った。(成功率10%でも、2000回のトライ。それで記録はノート5冊。これは釣り合わない。次回論文のための機密や特許秘密もあるので公表はできないというが、不都合部分は黒塗するのでも用は足りる。)
このように自己申告する人は世の中にはたくさんいるものだ。自分の体験を科学的事実として認定して欲しい時、科学村の作法に従うことになる。そうしない場合は、科学村では事実と認定しない。科学村はそういう村である。それは宗教的思考や嘘、デマと科学的事実を区別するために西洋科学村が長い年月をかけて熟成させてきた文化である。特に宗教や迷信と区別するための方法論として発達したと思う。
今回、科学村のしきたりに従わず、「それでも本当に、スタップ細胞はできたんです」と発言するのは、科学村では主張を放棄し、「世間村」または「マスコミ村」での真偽認定にすり替えたということだ。せわしない関西弁の弁護士が同席して、人権侵害だなどと語っていることからも、科学村の話ではなく、世間村やマスコミ村、さらには法律村や人権村の話になっているのだと思われる。「それでも本当に、スタップ細胞はできたんです」という発言に対して、「そうなんです、私も確認しました」という人が一人も出てこないのはどうしてなんだろう。
「それでも地球は回っている」とガリレオが言ったのは、宗教的権威に対して、科学的事実を主張している。
「証明はできないけれども、スタップ細胞はできたんです」という発言は、科学的史実である主張をやめて、世間村・マスコミ村・法律村・人権村に私は生きているということだ。
ーーー笹井氏が論文の主なフレームを作っていて、それは整合性があるらしい。そんなありがたい話になっているのに、なぜユニットリーダーは、普通に、使い回しではない、オリジナルの画像を載せなかったのだろう。ひどすぎる話でありえないが、思考実験として書くと、たとえ、実験もしていない、写真も一枚もないという場合でも、どこにもないオリジナルな一枚を捏造すればよかっただけの話で、それが嘘の写真だと責める人はいないはずだろう。もちろん、失敗していた(別の細胞をスタップと誤認していた、あるいはES細胞のコンタミが起こっていた、あるいはコンタミを起こさせた)としても、何らかの写真は撮影できるはずだろう。笹井氏の苦労を思えば、その程度の苦労はしてもいいはずだと思う。なぜそれをしないのだろう。それが不思議だ。写真使い回しはアクシデントだったのか、シナリオ通りだったのか。
そして割烹着などの演出も、意味不明である。君は割烹着もよく似合うよと誰かが言っていたのではないかなどとの話。
わからないことだらけだと、陰謀論と、精神病論が生じる。
ーーーそれにしても、物理的刺激、化学的刺激で、幼若化が起こるとして、普通に考えると、完全リセットに至るまでの、中間的リセットがたくさん発生しそうである。物理的刺激や化学的刺激は中間領域が無限段階にあるはずで、完全リセットの前の段階が無限段階あってもおかしくないだろう。そうなると、制御の難しい予期不能な細胞が無限に発生しそうで、能率よく、個体発生を実現することは難しそうに思われる。
理研に残っているSTAPから成長した組織のDNA分析をすれば、本当にSTAP由来かそうでないか、明確になるというのであるが、
それはたしかにそうであるが、一方で、物理化学的刺激がDNAの状態に変化をもたらすので、予想外の変化があるかもしれず、
その場合は、DNAが従来の考え通りに一貫して保存されているとは限らないのではないか。
2014-04-11 02:31