したたかな女性上司に引導を渡された元部下の告白 表向きは実力主義を謳う「某外資系人事」のからくり

さらに記事を引用し考えてみる

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今回は、「実力主義」で知られる某外資系IT企業(日本支社は社員数350人)が舞台となる。同社は20年ほど前に日本に進出し、当初からブランド力のあるソフトウェア製品をヒットさせた。

ここで働く40歳の女性マネジャーの生き方を、元部下に取材を試みることで浮き彫りにし、この外資系企業の人事システムが抱える課題を考えたい。

元部下によると、このマネジャーはプレーヤーとしての能力に問題があったという。にもかかわらず、会社の上層部に認められるのはなぜか。そこには、周囲の社員が理不尽な気持ちを禁じ得ない「悶える職場」の構造が見え隠れする。

取材に応じてくれたA氏(41歳)

元部下の男性は、現在41歳。1年前、この女性から引導を渡され、リストラされた。現在は外資系の中堅企業に勤務し、部長職として活躍する。この記事では仮にA氏とする。

A氏とのやりとりについては、よりニュアンスを正確に伝えるため、インタビュー形式とした。取材の内容は、実際に話し合われた内容の9割方を載せた。残りの1割は、会社などが特定でき得る可能性があることから省略した。

「力量は自分のほうが高いのに……」なぜあんな上司にリストラされたのか?

A氏あの女性マネジャーに怒りもないし、恨みもない。当時、彼女は38歳。管理職として5人(いずれも正社員)の部署をまとめていた。アメリカ本社のITヘッド(IT部門の責任者)からの期待にいつも応えていた。その意味では、立派だと思う。

しかし、疑問もある。そもそもなぜ、会社はあのレベルの女性をマネジャーにして、1200万円以上もの年収を与えていたのだろうか。一方で、同世代の私は40歳でリストラになった。プレーヤーとしての、つまりITエンジニアとしての力量は、私のほうがはるかに高いはずなのに……。

2008年秋のリーマンショック直後に合併された会社にいた身だから、いつかは辞めざるを得ないとは思っていた。だが、合併わずか2年後に、上司である彼女から「引導」を渡された。そこに、理不尽なものも感じる。

筆者女性マネジャーは、どのようなタイプだったのですか。

A氏マネジャーとしてはともかく、プレーヤーとして仕事をバリバリするわけではない。勤務時間中、ケーキづくりのウェブサイトをじっと見ていることすらあった。部下に厳しくあたるわけでもなく、温厚な一面もある。だが、私には仕事熱心な上司とはとても思えなかった。

あの女性の部下だったときに、つくづく思った。会社は、稼ぐ仕組みの上にあぐらをかく立場になることができれば、ここまでのんびりと日々を送り、いい生活ができるんだと。

独身貴族でお菓子づくりが趣味?お気楽にしか見えない女性マネジャー

筆者実感がこもっていますね(苦笑)。

A氏あの女性は30代後半の頃、渋谷に高級マンションを購入した。離婚歴2回で、いわゆる「バツ2」。子どもがいない。夫も養うべき家族もいない。気楽なものだろうね。

噂では、ケーキをつくるのが趣味みたい。時々、会社にそのケーキを持って出社する。それを支社長や部長、そして部下である自分たちに配る。これが、意外とおいしい!(苦笑)。ケーキが社内での生き残りのポイントなのかな……。

筆者なるほど(苦笑)。ところで、社員を非管理職から管理職にする人事権は、日本支社にあるのですか。

A氏支社には幹部として支社長、役員、10人前後の部長がいる。聞く限りでは、いずれもさしたる人事権がない。人事部にはスタッフが数人いるが、給与計算などの事務処理、手続き業務をするのみ。非管理職をマネジャーなどの管理職に上げる権限は、本社が持つ。あの女性はIT部門にいる以上、その権限は本社のITヘッドにある。

ひたすらルーティーンワークをこなし部下を育成する気持ちはまるでなし

筆者特にどのあたりに理不尽なものを感じたのですか。

A氏彼女は部署の性質上、プレイングマネジャーであるべきだったと私は思う。マネジメントはもちろん、プレーヤーとしても、ある程度のレベルで仕事ができないといけない。ところが、それらができない。

その場合のプレーヤーとは、ITエンジニアであること。私がITエンジニアとして、ここ十数年一緒に仕事をした人の中では、レベルが相当に低い。5段階評価をつけると、「1」だと思う。それでも、彼女は同世代の中でいち早くマネジャーになり、数年後の今は40歳となってそのポジションにいる。今後、降格になる可能性は低いように思う。

筆者プレーヤーとしては頼りないかもしれませんが、捉え方によってはその女性は優秀なのではないでしょうか。その会社は、外資系企業の中では日本で名が知られている。ブランド力が高く、採用力があるはずです。中途にしろ新卒にしろ、一定水準以上の人材が入ってくるのでは。そうそうひどいレベルの人は少ないように思えるのですが……。

A氏ある面では、優秀ではあるのかもしれない。社員の英語力は、平均的な日本人の会社員よりははるかに高い。その中でも、彼女の英語はとりわけレベルが高い。

日本の大手銀行に勤務する父親が、欧州の支店に長く勤務していたようだ。そのような事情もあり、イギリス生まれで、イギリスの一流大学の大学院(修士)を卒業している。新卒の時点では大手の外資系金融機関に入り、その後2つほどの外資系企業を経て、30歳前後であの会社に入った。

筆者外資系企業で成功する人は英語力が高いですが、実は20~30代前半までのプレーヤーとしての力量には、疑問符がつく場合が少なくありません。私の身近には、日本企業でプレーヤーとして花開かずに、30歳前後で外資系に移った人もいます。

いくら英語ができるからと言ってプレーヤーとして優秀とは限らない

A氏英語ができるからといって、必ずしもプレーヤーとして優秀とはいえないのではないだろうか。私も外資系企業に十数年勤務したから、英語力は一定水準以上だと思う。しかし、やはりプレーヤーとして、つまりITエンジニアとしての力量は別のものだと思う。

部署を率いる以上は、本業のレベルが高くないと部下が困る。本来は、プレーヤーとしてレベルの高い人の中からマネジャーを選ぶべきだと思う。プレーヤーとして未熟な人が部下を持ったところで、育成はできない。

筆者そもそもその女性マネジャーは、部下を育てていたのですか。

A氏そんなことはできないし、するつもりもないようだった。中途採用で入社し、始めの3年間は非管理職ということもあって、猛烈に仕事をしていたらしい。しかし、30代半ばでマネジャーになってから、仕事に対する姿勢ががらりと変わった。

チャレンジ精神はなくなり、ひたすらルーティーンワークをこなして、現状を維持するのみ。ただし、アメリカのITヘッドのリクエストにはきちんと応える。部下の育成などは、意識にないようだった。営業のように稼ぐ部署ではないから、そのような現状維持の姿勢が許されるのだろう。

筆者もう1つ考えるべきは、日本に進出する外資系企業、特にIT系の外資系企業が、東南アジアやインド、中国にアジアの拠点を移しつつあることです。日本より、物価も人件費もはるかに低く抑えることができるのですから。そんななか、ここ数年、日本支社のIT部門の位置づけが急速に変わりつつある。本来、外資系企業で働こうとする場合、この「拠点」のシフトには猛烈に警戒をするべきだと思います。

A氏日本支社の、ある意味での役割は終わりつつあると思えなくもない。アメリカ本社のIT部門は、「日本支社に余計なことをするITエンジニアは不要」と考えていたフシがある。実際、日本支社の人員を削減していた。

日本では、エンジニアというよりは、海外支社からの連絡調整役のような立場の人が数人いればよいのだと思う。つまりは、ITスキルよりは英語力が真っ先に問われる。そういう時代になりつつあることを、彼女はよく察知していたかもしれない。

人事権が本社にあり、現場が見えない実は人材を育成できない外資系も多い?

筆者そもそも、その女性は部下に仕事を教えることができたのでしょうか。

A氏プレーヤーとしてレベルが低いから、教えることはできない。なぜか合併された会社の私が、非管理職でありながら、20代後半から30代前半の社員数人に教える立場にいた。他の部署でも、同じような状況だった。

あの会社には、「教える」という文化がない。新卒で入ったところで、仕事を覚えることができない。だから、大量に辞めていく。中途採用で入ってきた人しか、生き残ることができない。

筆者このあたりも、識者やメディアは勘違いしているように思いますね。よく「外資系企業は新卒が入っても、仕事が厳しいから大量に辞めていく」「日本企業のようにぬるま湯ではない」と言われます。しかし、実は新卒を育成するシステムを持ち合わせていないとも言える。

A氏あの会社で新卒を育成できない大きな理由は、マネジャーのプレーヤーとしてのレベルが低いからではないかと思う。人事権が本社にあり、社員を評価するにあたって適切な見取りをしていないからでは。

遠くアメリカにいたのでは、日本支社の状況はわからない。だから、「なんとなく、仕事ができる」といったイメージで判断し、マネジャーなどを選ぶ傾向がある。プレーヤーとしての力量をシビアに判断するわけではない。その「仕事ができる」といったイメージを醸し出すのに、大きな効果を発揮するのが「高い英語力」となる。

部下である私たちは、女性マネジャーに不満を持つこともあった。本社のことしか見ていないから、軸がない。つまり、判断や指示がブレる。本社のITヘッドを説得することができない。プレーヤーとして未熟だから、説得するだけの知識や情報を持っていないのだろう。

そんなことに不満を募らせ、同じ部署にいた30代前半の女性社員は退職した。女性マネジャーは、30代前半の男性の部下を可愛がるが、30代前半の女性社員のことは高く評価していなかったようだ。

筆者確かに、そうしたレベルの人がマネジャーをしているようでは、高い業績を維持することはできないように思えますね……。

A氏世界各地の支社や本社は業績がよい。加えて1年前にリストラを行い、30代後半から50代の社員を大量に辞めさせた。私もその一環で辞めた。コストが浮いたぶん、業績は一層よくなっている。残った人の中には、仕事のレベルが低い人もいる。そのような人が昇格し、権限を握ることもある。それが、あの会社の1つの姿ではないだろうか。

外資系は必ずしも実力主義ではない ウケがいいだけの「勘違い野郎」も

筆者有名な外資系企業といえば「実力主義」と思われがちですが、必ずしもそうとは言い切れないのですね。

A氏「実力」の言葉の意味を吟味しないといけない。その意味は、会社や部署によって違う。たとえば、営業部のように稼ぐ金額が多い人を「実力がある」とみなす場合もある。私が所属したIT部門は、数字による評価ができない。だから、評価に曖昧なものが残る。

さらにいえば、営業で数字を残す人でも即「実力がある人」とは見なされないように思う。多くのお金を稼ごうとも、上層部から認められていない限り、通常その人は昇格できない。そうなると、他の社員から実力をなかなか認めてもらえないだろう。逆にいえば、実力がさほどない人でも、上がっていけば周囲から「実力がある」と勘違いされがちだ。本人も、そのように思い込んでしまう。

筆者勘違いする人は、日本企業にも少なくないと思いますよ。

A氏会社って、こういう「勘違い野郎」が少なくない。ある程度のポジションをつかむと、それなりの収入を得て、身を守ることができる組織なのだと思う。まじめに仕事をすると損もする。低いレベルであっても、キーパーソンの心をつかんで認められれば生きていける。部下の立場から見ると、そこに理不尽さややるせなさがある。

特に外資系企業では、英語ができて、「キャリアアップ」と称してブランド力のある会社をいくつか渡り歩いた経験があると、「すごい人」というイメージができ上がる。実際は、日本企業でバリバリ仕事をする人のほうが、プレーヤーとしては優秀に見えるのだが………。完全に「勘違い野郎」になっている人は少なくない。

実力よりも協調性やリーダーシップ重視 人事での「行動評価」のウェートは大きい

筆者「成果主義的な評価制度の導入により、日本企業も実力主義になりつつある」と説く識者やメディアは多いです。しかし、業績だけで社員を評価する会社は今も少ない。人事では協調性やリーダーシップなどの「行動評価」が大きなウェートを占めています。最近は、管理職で業績評価の比率が高くなりつつありますが、評価の6割を「行動評価」が占める会社もあると聞きます。

A氏彼女は、その意味でも認められやすい。高学歴で基礎学力が高い。事務処理とか、仕事の基礎的なことは素早く理解し、ハイレベルにこなす。だから印象がいい。てきぱきとしていてソツがない。ITに関する教科書的なことも、一通り頭に入っていた。

何よりも、英語のレベルが抜群に高い。アメリカのボスたちと深い意思疎通ができる。日本支社には、あそこまでできる社員は少ない。ITヘッドや支社長、部長らキーパーソンの心を完全につかんでいる。

さらに、もてなすことが上手い。たとえば、アメリカの本社に出張するときに、ITヘッドらと食事をして感謝の意を伝える。日本に帰国すれば、すかさずメールを送る。「仕事がスムーズに進むのは、ボス(ITヘッド)のお蔭です。ありがとうございます」といった内容だったと思う。それを、テレビ電話でも直接伝える。

ITヘッドも悪い気はしないだろう。そして、ヘッドが強く求める日本支社の人員削減も難なくこなした。皮肉るわけではないが、立派だと思う。

アメリカから人員削減を言われている あなたにはこれを機に辞めてほしいの

筆者1年前のリストラでは、引導を渡したのが彼女だったのですか。

A氏彼女との1対1の話し合いの場で、「アメリカのほうから人員削減を言われているので、これを機に辞めてほしい」と頼まれた。言葉を選びつつ、慎重にソフトに接する。怒りは湧いてこなかった。

?「仕方がないな」とその場で割り切った。合併された会社にいたのだから、いつかはこの日が来ると覚悟していた。しがみつくと、一段と悪いことが降りかかる気がした。縁を切るべき会社だと思った。

筆者前ぶれはなかったのですか。

A氏数年前、彼女がアメリカから帰国した際、「今後、(ここの会社で)どうするのか」と聞いてきた。私が、「○○さん(女性マネジャーのこと)に部長になっていただき、その後に自分がマネジャーになりたい」と申し上げた。

すると、「いや、このマネジャーのポストは、Aさんのように技術者が就くところではないの。連絡調整役みたいなポジションだから」と答えていた。アメリカの本社とは、そんなことも話し合っていたのだと思う。

ソフトに、したたかに生き残る女上司 「考えるとすごいな、会社って……」

?彼女は、私に一度も威張ることはなかった。「私はプレーヤーとして仕事ができる」と虚勢を張ることもしない。むしろ、「私はできない」と認めていた。だから、「この人はすごいな」と思って仕えていた。

大規模なリストラは終わったから、少なくとも1200万円程度の年収をもらいながら、もう十数年は会社に残るのだろう。ケーキは今も配っているみたい。すごいな、会社って……。

筆者本来は、そうした理不尽な仕組みの上にあぐらをかいている人が転がり落ちることが、健全なのだとは思います。だけど、そうした新陳代謝が簡単にいかないのが、業績のいい会社のネックでもあるのかも。そこに、意識の高い会社員が痛切に感じる「悶え」の原因があるのではないでしょうか。

踏みにじられた人々の崩壊と再生

今回は、「実力主義の最前線」と言われる外資系企業でしたたかに生き残る女性マネジャーに着眼することで、まじめな会社員が空しさや怒りを覚える「悶え」の本質を浮き彫りにしたかった。

会社員が「精神的に悶える」ケースは、リストラやパワハラなどのようなものが多いと思われがちだ。だが、今回取り上げたケースのように、社員1人の力ではどうすることもできず、職場全体の士気を低下させかねない「組織の壁」に起因する課題も、注視すべきポイントだと思う。

まず考えたいのは、「実力」という言葉の意味である。A氏とのやりとりの中で筆者の考えは述べたので、ここでは多くを述べないが、確かに社員の「実力」を単に「業績がいい」という一面だけで捉えることには、デメリットもある。

理由がわからないからこそ自分を責める 大義名分があればリストラでも潰れない

?むしろ、会社は求心力を保つために、人事評価のどこかに曖昧さを残しておくものだ。だからこそ、「業績」以外の項目を必ず盛り込む。また、考え方によってはそれが健全な場合もある。社員を数字だけで判断することは、それはそれで労使間に不信感を浸透させることになりかねない。これは判断が難しいところだ。

さらに検討するべきは、「グローバル化におけるシフト」の問題である。外資系に限らず、日本企業も拠点を次々に他国へシフトしている。それによって自分が職を失うならば、「能力が低い」「業績が悪い」といった類のものではない可能性がある。「私は認められなかった」と自虐的に自分を責めるべきではない。

通常のリストラには、このような大義名分はない。中小企業などのリストラでは、それが顕著だ。連載第1回、3回、5回ではそれが浮き彫りになっていると思う。理由がわからないからこそ、多くの人は自分を責める。

A氏が当時を比較的冷静に振り返ることができるのは、「グローバル化におけるシフト」により、職を失ったからと見ることもできる。言い換えれば、人は大義名分を持てるときに、ある意味で精神的には潰れないものなのかもしれない。それならば、仮にリストラなどのターゲットにされた場合、難しいことではあるだろうが、その大義名分を自らも探すべきなのかもしれない。

もう1つ考えたいのは、この女性マネジャーのこと。彼女は本当に、英語力とキーパーソンへの配慮だけで上に認められたのだろうか。A氏から見ると物足りなさがあったかもしれないが、社内の、特に同世代の管理職と比べて、プレーヤーとしての力は実際どうであったのか。このあたりは、より客観的に分析したいところではある。

いずれにせよ、部下の上司に対するこうした不信感の背景に、会社という組織の本質があり、社員を悶えさせる「何か」が隠されているのではないだろうか。

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とのことだ
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