絶望と希望のはざまで

今日は3月3日でひな祭りであるが
平和なひな祭りは最後かもしれない

3.11の東北の大地震と津波があってから後、
原発では冷却排水の置き場所がないとか
またがれき処理についても、がれきの置き場所さえ決まっていない
同様に、放射能廃棄物の最終処理についても、「六ケ所村でいいだろう、六ケ所村は施設がないと生きていけない」
などと暴論がささやかれる始末である
絶望である

首都直下型大地震のXデーが非常に高い確率で近づいており
東海、東南海、南海地震についても盛大に予測報道がなされている
富士山の噴火も「いつ起こってもおかしくない」
こんな時に東京の不動産に外資の買いが入っているというのだから、私には理解できない

将来振り返って、今日の日は
東日本大地震と首都圏直下型大地震の間の
僅かな平和の日であったのだと回想されることになるのだろう
その回想をする頃には、東北にはがれき、福島にはどうしたら良いのか誰にもわからない原発、
そして東京には日本語を話す生物は存在するのだろうか
報道によれば、大繁殖しつつある大型ネズミ、大繁殖しつつある大型ゴキブリという話だし
さらには致死性伝染病を撒き散らすある種の小動物(マダニ)などが存在するようで、
災害による遺体を収容しきれない状態の中でそれらが大繁殖

未来については悲観も楽観も達観もしていないのだが
今なすべきことは大量の保存食とペットボトルの水を
災害時でもないのに連日食すことである
胃袋にとっては、実質、災害の前倒しである

絶望と希望のはざまで とタイトルを書いたけれど
希望はどこにもなかった