汝自身を知れ
なんて言われるくらいの場面では
はっきり言うのも面倒くさいが
ちょっと点検してみたほうがいいよ
というくらいの意味になる
自分自身についての不都合な真実について認識したらどうかということで
まるで認知療法の変形である
認知療法の寛大なところは
あなたが思い込んでいるよりも現実は悪くないですよと
懇切丁寧に何度でも教えることだ
別の方法がありますよと
なんどでも教えてくれる
あなたが思い込んでいるより現実は悪いですよという話は告知とかそんなことになる
治療法とも言えない
賢い人はそんなことをしたら逆恨みされると知っているのでなるべく回避する
知らないほうが幸せなんだろうなと
思うこともしばしばである
結局、言わない
汝自身を知らなくて良い
どうせみんな死ぬんだし
正確な認識なんて保証もないわけだし
少しの間でも幸せならそれでいいのだろう
愚かさに応じて幸せでいれば良い
賢さのゆえに不幸せになるのも仕方がない
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しかし愚かであるがゆえに幸せということがあるものだろうか
また賢いがゆえに不幸せであるということがあるものだろうか